エディプス・コンプレックスの対となる、仏教に関連がある言葉は何?
まずは念のため、「エディプス・コンプレックス」という言葉について説明をしたい。これはフロイトが提示した精神分析に関する言葉で、男児が3歳から6歳頃にかけて、子が母親に性愛感情を持ち、父親に嫉妬する無意識の感情のことである。
この「エディプス」とは、古代ギリシャの三大悲劇作家のひとり・ソフォクレスの『オイディプス王』で知られるギリシャ神話の英雄である。このオイディプスはスフィンクスの謎を解いたことでも有名だが、その生涯は波乱に満ちている。まずは「後に王である父に害をなす」と予言されたため、生まれた時点で足を貫かれ山中に捨てられてしまうが、羊飼いに拾われて成長する。やがて、知らずして父王を殺し、生母を妻として子をもうけたが、真実を知って絶望して死ぬという悲劇的な人物でもある。「エディプス・コンプレックス」はこの部分にフロイトがなぞらえた言葉だ。
オイディプスの悲劇は現代の舞台でもしばしば演じられる題材ではあるが、これと似た悲劇が仏教にもある。
それは「王舎城の悲劇」と呼ばれるもので、オイディプスにあたる人物はアジャセ(阿闍世)という。王舎城は古代インドのマガダ国の都で、現在のインド北東部のラージギルに跡が残る。アジャセも『詳説世界史研究』(山川出版)にも記載のある、実在した人物である。
アジャセの父王・ビンビサーラ(頻婆娑羅)は、歳を重ねたものの跡継ぎがおらず焦っていたが、「近くの山に住む仙人が数年後に寿命で亡くなった後、王子として転生する」という占いを聞く。しかし、数年が待ちきれない王はその仙人を殺してしまう。王に恨みを抱く仙人は「転生した後に必ず王に仇を為す」との予言を残す。そして、実際に王の夫人・イダイケ(韋提希)は男児を身ごもるが、当然ながら不安を抱く。そのため、王は出産時に高所から王子を落として殺そうとするが、指が折れ曲がるのみで命はとりとめ、そのままアジャセと名付けられた王子は成長する。
ここまでで少々の類似性が見られるのだが、成長したアジャセはダイバダッタ(提婆達多、釈尊のいとことされ、仏典では悪役として描かれることが多い)に出生の秘密を明かされ、怒りから父、それを助けようとしていた母を幽閉する。獄中で嘆き悲しむイダイケに説かれた経が、浄土三部経のひとつに数えられる『観無量寿経』である。
ただ、こちらの仏教版悲劇は救いがあり、アジャセは父を死なせてしまったものの、後に改心して仏教に帰依し、教団を積極的に支援している。この一連のエピソードは手塚治虫の『ブッダ』にも描かれている。
そして、ここから生まれた「アジャセ・コンプレックス」という言葉がある。この言葉は昭和期の精神分析学者・古沢平作と小此木啓吾により提唱された精神分析上の概念で、「母親を愛するがゆえに、母親を亡きものにしたいという欲望」を意味し、日本人の母子関係の特徴とされる。
これらの言葉は意味的に正反対という意味ではないが、エディプス・コンプレックスのほうは父親、アジャセ・コンプレックスのほうは母親に抱くということでしばしば対の言葉として扱われているようである。
しかし、少々この言葉には語弊があり、古沢平作はイダイケが仙人殺しを主導したように扱っていたようだが、そのような記述はアジャセについて記載のある『大般涅槃経』など複数の経典にも見られない。このことは小此木啓吾にも指摘されている。アジャセの物語も歌舞伎や演劇で定番となっていたらこの言葉も生まれなかったのかも知れない。
いずれにしろ、このアジャセの逸話は、どのような罪を犯しても心から反省し、自身を改めれば救いの道があるという、仏教の懐の広さを示す教えとして、広く知られて欲しい説話のひとつである。
ジャンル | ことば・文学 |
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掲載日時 | 2020/5/12 16:00 |
学習院大学文学部史学科卒
大正大学大学院仏教学研究科浄土学専攻修士課程修了
高校・大学は剣道部、前職は中学・高校の社会科教員。クイズ作家としてはクイズ研究会やサークル所属経験のない異色の経歴。クイズ番組は好きだったが、プレイヤーとしての経験はアーケードゲームのみ。
僧侶としても、仏教系大学に大学院のみ在籍という極少数派。
有限会社セブンワンダーズ入社後は僧侶とクイズ作家の兼業で活動。法話にもクイズ作成で得た知識や要素を取り入れ、独自性のあるものを展開しているほか、寺院での「仏教クイズ」も企画している。
好きなジャンルは仏教、世界史、サッカー。
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