平安貴族的「パロディ」の楽しみ方とは?
平安時代の人々にとって【和歌】(五七五七七で詠むもの)はコミュニケーションの一部です。
恋愛においても政治においても和歌は貴族にとって必須の教養でした。
(和歌がうまいとモテる・出世できる・ひどいときには罪が帳消しになります)
短い文字数にほとばしる気持ちを込めてお互いに思いを伝えあっていました。
その和歌の技術として【本歌取り】というものがあります。
本歌取りとは、先人が詠んだ和歌を基にして新しい作品を作りだすことです。
性質としては現代の「パロディ」とか「オマージュ」に近い考え方です。
例として、小倉百人一首の中で本歌取りが使われている和歌を紹介します。
42:ちぎりきな かたみに袖を しぼりつつ 末の松山 波こさじとは
(訳)約束しましたよね。お互いに涙を流しながら、末の松山を波が越えないのと同じように、決して心変わりはするまい、と。
※「末の松山」とは宮城県の海岸にある山。「海の波が山を越える」とは、ありえないことのたとえとして使われています。
この和歌の本歌はこちら。
君をおきて あだし心を わがもたば 末の松山 波もこえなむ
(訳)あなたをさしおいて、私が浮気心を持ったならば、末の松山を波が越えるだろう。
【本歌取り】を使う一番のメリットは「情報量を増やせる」こと。
自分が詠んだ和歌を、元の歌の情景を加えて読者に想像してもらうことにより、
31文字以上の情報を伝えられます。
本歌である「君をおきて~」の和歌で「あだし心(=浮気心)」という言葉があることにより、
特に言及がないのに「契りきな~」の和歌を「相手の心変わり・浮気が原因で別れることになったのかな?」と想像できます。
本歌としては、有名な和歌や中国古典を元ネタにすることが多いです。
よって、作者は「古典に精通している」と教養をアピールできましたし、
元の和歌の作者は「引用してもらえるほどいい歌だった!」と名誉なこととして受け取っていたようです。
元ネタが分からなくても、和歌そのもので十分楽しめますし、
元を知っていると、ちょっと「にやっ」とできたり、より深く情景・心情を味わうことができたりします。
短い文字数の中で、とにかくたくさんの思いを凝縮して伝えようとした和歌の技術。
あっぱれです。
ジャンル | ことば・文学 |
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掲載日時 | 2021/4/11 16:00 |
大阪府出身・在住。
同志社大学文学部国文学科卒業。
現在は予備校で(比較的)新人講師として勤務。
担当ジャンルは【古典文学】
授業では、本編よりも脱線話の方がウケて悲しい反面、過去の自分もそうだったので生徒を責められません。小ネタを収集する日々です。
基本どんなジャンルでも興味あり!
でも、結局言葉(=ことのは)のもつ魅力から逃れられずここまで来てしまいました。
尊敬する人は中2のときからロザンの宇治原さん。好きなことは、得意ジャンルが全く違う同居人とクイズ番組を見ながらやいやい言うこと。
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