平安貴族にとって脱げるのが一番恥ずかしいものは?
脱げるといえば「服」くらいしか思い浮かびませんよね。
平安貴族にとって服が脱げるより恥ずかしいのは【烏帽子(えぼし)が脱げること】でした。
烏帽子は平安時代の男性がかぶっている帽子です。成人式と同じ役割を果たす「元服」というイベントがあり、その日から「大人の男」の印として烏帽子をかぶるようになります。着用していないとはずかしい現代の「服」と同じ扱いだったので、基本的には家でくつろいでいるときにもかぶっているものでした。
よって、人前で烏帽子を脱いだ姿を見られるのは、裸を見られるのと同レベル。服をみぐるみはがされても烏帽子だけは手で押さえて守っているという絵も残っているくらいです。
当時の烏帽子に対する考え方がよく表れているのが『宇治拾遺物語』収録の「元輔落馬の事」という話です。
あるとき、馬が暴れて清原元輔が馬から落ち、その拍子に烏帽子も脱げてしまいました。大変。元輔の頭は「瓶(かめ)をかぶったように」日があたるときらきらしている状態でした(お察しください)。近くにいた使いの者が「これは大変!」と慌てて元輔に烏帽子を差し出すのですが、元輔はそれを制し、自分を見てげらげら笑っている貴族に「笑っているきみたちの方がおかしい」と説教を始めるのです。
元輔の主張の要点は以下。
・賢い人でもものにつまずくことはある。ましてや、馬は人間よりも賢くないのだからつまずくことがあるのは当たり前である。
・道がでこぼこなのだし、馬も手綱に引かれて自由に歩けないのだから、馬が悪いのではない。
・烏帽子は何かで止めるのでもなく頭にのせているだけのもの。髪を中に入れて留めるものだが、私には髪がないからそれもできない。
・今まで烏帽子を落とした前例はたくさんある。おかしなことではない。
ここでやっと使いの者から帽子を受け取るのですが、説教された貴族もしらけて笑うに笑えません。ちなみにこの清原元輔は清少納言の父です。なんとなーく、この父にこの子あり、な気がします。
烏帽子と貴族と言えばもう一つ、実方と行成のエピソードがあります。
実方が何かの腹いせに行成の烏帽子を投げ飛ばします。行成は驚くが冷静に「なぜこのような仕打ちを受けねばならないのでしょうか」と聞くと、実方はばつが悪くなり逃げ出します。それを偶然見ていた天皇が行成に良い役職を与え、実方は事実上左遷された…そうです(真偽のほどはアヤシイようですが)。
現代からみるとたかが帽子ですが、当時の人には死活問題です。優雅なイメージのある平安貴族ですが、こんなエピソードもたくさんあります。むしろ、ハプニングが起こった時に本当の人間性が出る…というのは今も昔も変わらないようですね。
ジャンル | ことば・文学 |
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掲載日時 | 2020/10/30 16:00 |
大阪府出身・在住。
同志社大学文学部国文学科卒業。
現在は予備校で(比較的)新人講師として勤務。
担当ジャンルは【古典文学】
授業では、本編よりも脱線話の方がウケて悲しい反面、過去の自分もそうだったので生徒を責められません。小ネタを収集する日々です。
基本どんなジャンルでも興味あり!
でも、結局言葉(=ことのは)のもつ魅力から逃れられずここまで来てしまいました。
尊敬する人は中2のときからロザンの宇治原さん。好きなことは、得意ジャンルが全く違う同居人とクイズ番組を見ながらやいやい言うこと。
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