「黒い霧」で瀕死の西鉄ライオンズを救うためにロッテオーナーがとった驚きの行動は?
プロ野球名オーナー列伝③
「昭和の古き良き時代のオーナー」を取りあげる企画、3人目はこの方です。
1970年に発覚しプロ野球界を揺るがした「黒い霧」事件で主力選手が大量に追放され瀕死の状態にあった西鉄ライオンズを救うため、1972年にロッテオーナーの中村長芳(ながよし)がとった起死回生の行動とはどのようなものだったでしょう?
【正解】ロッテオーナーを辞職しライオンズを買収した
山口県出身の中村長芳は、大学卒業後に同郷の岸信介首相のもとで内閣総理大臣秘書官をつとめるなど、政治家秘書として活動していました。そんな中村に転機が訪れたのは1969年のことでした。
プロ野球、大毎オリオンズのオーナー・永田雅一(まさいち)がチームの経営難を親しかった岸に相談したところ、岸のあっせんによりロッテと業務提携を開始、ロッテオリオンズとチーム名を変更し中村も経営に携わることになります。
そして、1971年大毎が経営から撤退し、ロッテが完全に買収したのに伴い中村はオーナーに就任します。
おりしも、プロ野球は前年に発覚した金銭の授受が行われた大規模な八百長をめぐる「黒い霧事件」が吹き荒れており、特に主力投手4人が永久追放処分を受けた西鉄ライオンズは、1970年から3年連続最下位、親会社の経営難も伴いもはや風前の灯火状態でした。
1972年オフ、中村は西鉄の買収先探しに尽力するもとん挫、そこで窮余の策としてロッテオーナーを辞職、保有していたオリオンズの株も売却し「福岡野球株式会社」を設立し西鉄ライオンズを買収します。
翌1973年、レジャー会社の太平洋クラブの資金援助を受け、「太平洋クラブライオンズ」と名を変えチームは再出発します。
新生ライオンズは、中村の古巣で金田正一監督率いるロッテと「平和台の遺恨試合」でパ・リーグを盛り上げたり、1976年には大リーグ通算2008勝を挙げた名監督レオ・ドローチャーを招へい(健康上の理由から来日せず)したりするなど、人気獲得に尽力するものの親会社の資金難などから1976年オフにクラウンガスライターにメインスポンサーを変更、「クラウンライターライオンズ」として2年間活動するも巨額の負債を抱え経営は行き詰まります。
1978年、西武グループが埼玉県所沢市への移転を条件に球団の売却および負債の引継ぎを持ちかけられると中村はこれを了承、西武ライオンズの誕生に伴いオーナー職も辞することとなりました。
西武への売却当時、福岡では中村バッシングが吹き荒れたともいわれますが、中村が必死の思いで経営を行った6年間があってこそ、ライオンズは西武が買収するまで持ちこたえることができ、また、その10年後の1988年オフにダイエーが南海ホークスを買収して再び福岡にプロ野球が戻ってくることができたと思わざるをえません。
ジャンル | スポーツ |
---|---|
掲載日時 | 2020/3/29 16:00 |
タグ | プロ野球 名オーナー列伝 |
担当ジャンル:スポーツ
1973年生まれ 福岡県出身
職業 クイズ作家 株式会社キュービック所属
物心ついたころから40年来の東京ヤクルトスワローズのファン。
年間の観戦数は30試合から40試合ほど。
仕事の「クイズ」と趣味の「野球」を組み合わせた「野球クイズ」をライフワークとし
プレーヤー・イベンターともに「野球クイズ」の第一人者を自負
主な実績
①プレーヤー
『全日本プロ野球クイズ王決定戦』(2013年6月)優勝
『プロ野球マニア王決定戦』(2019年3月)優勝
②イベンター
『プロ野球12球団ファンクイズ王決定戦』(2019年5月~2020年1月)
(全12球団+各回の優勝者で日本一を争う「日本シリーズ」の全13回)開催
クイズに関するニュースやコラムの他、
クイズ「十種競技」を毎日配信しています。
クイズ好きの方はTwitterでフォローをお願いします。
Follow @quizbang_qbik