「江夏の21球」の舞台となった球場は、
日生球場でも藤井寺球場でもなくどこ?
1979年の日本シリーズは広島東洋カープが、近鉄バファローズを4勝3敗で降して日本一になりました。
さて、このシリーズの第7戦の9回裏の大勝負は「江夏の21球」として現在でも語り草となっていますが、この試合が開催された球場は、当時近鉄が本拠地として使用していた日生球場でも、藤井寺球場でもなくどこだったでしょう?
正解 大阪球場
当時の近鉄は、自社が経営していた藤井寺球場は周辺住民との折衝がつかずナイター用の照明をつけることができず(1984年に完成)、平日のナイターは日生球場でおこなっていましたが、日生球場は収容人数が2万人そこそこしかなかったため、日本シリーズは3万人収容できる南海の本拠地・大阪球場で開催されることになりました。
実は以前は日本シリーズを本拠地以外の球場で行うことは珍しくなく(1950年の第1回はフランチャイズ制が採用されていなかったため除きます)、1962年の東映と1978年のヤクルトは本拠地の神宮球場が学生野球優先で使えなかったため後楽園球場を使用、1974年のロッテは主たる本拠地を持たず県営宮城球場を準本拠地とし、プレーオフも同球場を使用しましたが、日本シリーズは後楽園球場を使用しました。
話を戻すと、この試合は13:00に始まり、江夏の21球が起きた9回裏の時点では16時過ぎでしたが、この日は雨模様でしかも11月であったことからすでに薄暗く、照明をつけて行われており、大阪球場で行う恩恵を受けられました。
しかし、本拠地でなかったが故にホームの恩恵を受けきれず、最後に敗れてしまったのではと感じます。
ちなみに近鉄は翌80年もリーグ連覇を果たすも同じ理由で日本シリーズは大阪球場を使用、これが本拠地以外で開催された最後の日本シリーズとなりました。
ジャンル | スポーツ |
---|---|
掲載日時 | 2020/7/29 16:00 |
担当ジャンル:スポーツ
1973年生まれ 福岡県出身
職業 クイズ作家 株式会社キュービック所属
物心ついたころから40年来の東京ヤクルトスワローズのファン。
年間の観戦数は30試合から40試合ほど。
仕事の「クイズ」と趣味の「野球」を組み合わせた「野球クイズ」をライフワークとし
プレーヤー・イベンターともに「野球クイズ」の第一人者を自負
主な実績
①プレーヤー
『全日本プロ野球クイズ王決定戦』(2013年6月)優勝
『プロ野球マニア王決定戦』(2019年3月)優勝
②イベンター
『プロ野球12球団ファンクイズ王決定戦』(2019年5月~2020年1月)
(全12球団+各回の優勝者で日本一を争う「日本シリーズ」の全13回)開催
クイズに関するニュースやコラムの他、
クイズ「十種競技」を毎日配信しています。
クイズ好きの方はTwitterでフォローをお願いします。
Follow @quizbang_qbik