日本初の地元の要請によりつくられた請願駅はどこ?
皆さんは『請願駅』という言葉をご存じでしょうか。請願駅とはその名前の通り、住民からの請願(お願い)で新設される駅の事です。
請願駅の身近な例で言うと、例えば山陽新幹線の新尾道駅、東北新幹線の本庄早稲田駅などが有名です。
さて、そんな請願駅ですが、日本初の請願駅が何駅だかご存じでしょうか。
答え、大屋駅(長野県上田市 しなの鉄道線)
日本初の請願駅は、長野県上田市にある大屋駅です。
大屋駅は第三セクターしなの鉄道線の駅で、上田駅と小諸駅の中間にあります。
大屋駅は、1896年(明治29年)1月20日に開設されました。
大屋駅は、現在でこそ第三セクター鉄道の小さな駅ですが、開設当時は信越本線の駅として開設されました。
大屋駅が日本初の請願駅として開設された背景には、明治時代の日本の主要産業である「養蚕」が関わっています。
明治政府の殖産興業政策に伴い、信州・上州は養蚕の一大産地でした。
そんな中、長野県諏訪地域の蚕糸業者が生糸を出荷する際、甲州街道を使用して甲武鉄道(現在の中央線)八王子駅まで生糸を陸送していました。
余談ですが、諏訪は甲州街道と中山道が交わる交通の要衝です。
そんな折り、1888年(明治21年)に海のない信州・上州と新潟の海をつなぐ信越本線が開通しました。
信越本線が開業すると、諏訪地域の養蚕業者は、中山道和田峠を越え、中山道長久保宿(現在の長野県長和町)経由で信越本線田中駅(現在の長野県東御市)まで生糸を陸送するようになります。
(田中駅は、北国街道田中宿近くにあります。)
しかし、諏訪地域から長久保宿を経て田中駅までは遠く、楽な道のりではありませんでした。
(もちろん、八王子まで行くよりは格段に近いのですが。)
そこで、諏訪地方の養蚕業者や地域住民が陳情を行います。
その結果、日本初の請願駅として、長久保宿から北国街道に向かったときに寄りやすい田中駅~上田駅の間に、大屋駅が1896年(明治29年)に開業しました。
なお、大屋駅~上田駅の間には、地元からの請願により『信濃国分寺駅』が2002年(平成14年)に開業しています。
ちなみに大屋駅は、2007年(平成19年)経済産業省の近代化産業遺産に製糸関連遺産として認定されています。
ジャンル | 社会 |
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掲載日時 | 2023/4/2 16:00 |
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