仏像が出来る前、お釈迦様の像の代わりに崇拝していたものとは?
いわゆるお釈迦様の像といえば、深大寺の国宝『釈迦如来像』など、誰しもイメージできるものだろう。4月の灌仏会では花御堂に像を飾り、甘茶をかけることはどこの寺院でも行っているものだ。
仏像を拝むことは現代では珍しくないことではあるが、仏教が誕生した当初から存在したものでないこと考えるまでもないだろう。中学校の歴史の教科書に、ヘレニズム文化の影響を受けて、ギリシャ人風の相好を持つ仏像が作られるようになったという話も載っているので、それを記憶している人も多いのではないだろうか。
仏像の起源自体はそのガンダーラ地方と、マトゥラー(インド北部、現ウッタル・プラデーシュ州)という説があるが、テーマから少し逸れるので、こちらは別の機会の話としたい。
そのようなわけで、今回は出来る前の話に少し触れていきたい。
まず、有名なものとしては仏舎利がある。寿司用語としてもおなじみのシャリだが、これはシャリーラ(Śarīra、遺骨・遺体の意)の音写とされ、その意味通り釈尊の遺骨のことだ。
釈尊が入滅された後、その遺骨を巡って争いがあったのだが、結果として複数に等分され、10余りの寺院に納められた。その後、仏教を篤く信仰したことで有名なマウリヤ朝のアショーカ王は、その遺骨をさらに粒レベルで細分し、数万の寺院へさらに配分した。
ちなみに、この仏舎利が納められた円錐状の仏塔をストゥーパといい、現代の卒塔婆の語源である。
しかし、いくら細かく分けたところで上限はあるので、日本を含めた仏塔には仏舎利が入っていないケースもある。代わりに見られるものとしては、宝石が入っているものだ。インドでしっかりと仏舎利を納めた塔を訪れ、そこで祈願した宝石を持ち帰り、仏塔に入れるケースもあったようだ。
だが、仏舎利は現代でも墓所には故人の遺骨を納めていることを考えるとあまりインパクトが強いものではないだろう。
もう少し珍しいものを例示すると、菩提樹が挙げられる。これは、以前の記事にもあるが、釈尊が根元で瞑想した木である。そのため、悟りの象徴などとしても崇拝されたようだ。
さらに変わったものを挙げると「仏足石」という、釈尊の足形がある。なぜ足なのかというと、その生涯、各地を回って布教を行った足跡を再現しようとしたものとされる。
時代が進むと足跡に紋様が追加され、様々なパターンが見られるようになった。足の中央に見られる輪「千幅輪相(せんぷくりんそう、仏が教えを説くことを意味する)」などから、ただの足跡でないことは見て取れるだろう。
そして、インドだけではなく、東南アジア諸国や中国、あまり馴染みがないかも知れないが日本にも入って崇拝されている。日本最古のものは薬師寺のもので、中国・長安の普光寺のものを遣唐使が写し取り、それをもとに753年に作られたとされる。
わざわざこのように別のものを崇拝していたのは、かつては仏像を作ることを畏れ多いとしていたためだ。仏の姿については経典にも特徴が記されてはいるが、当然ながら具体的な像があったほうがイメージしやすいだろう。キリスト教でも聖像は異民族布教に役立ったわけで、これは人類に共通することといえるだろう。
ジャンル | 社会 |
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掲載日時 | 2021/6/27 16:00 |
学習院大学文学部史学科卒
大正大学大学院仏教学研究科浄土学専攻修士課程修了
高校・大学は剣道部、前職は中学・高校の社会科教員。クイズ作家としてはクイズ研究会やサークル所属経験のない異色の経歴。クイズ番組は好きだったが、プレイヤーとしての経験はアーケードゲームのみ。
僧侶としても、仏教系大学に大学院のみ在籍という極少数派。
有限会社セブンワンダーズ入社後は僧侶とクイズ作家の兼業で活動。法話にもクイズ作成で得た知識や要素を取り入れ、独自性のあるものを展開しているほか、寺院での「仏教クイズ」も企画している。
好きなジャンルは仏教、世界史、サッカー。
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