この世にある地獄の入り口、どこにある?
好き好んで地獄に行きたい人はいないだろうが、怖い物見たさで少しだけ覗いてみたいという方はいるかも知れない。
そんな方に少しだけオススメの地獄の入り口が今回のテーマである。ちなみに、群馬県を流れる三途川を越えたところだとか、長崎県にあるバス停「小地獄入口」などというネタ系ではなく、ガチ地獄の話だ。
京都市東山区に「六道さん」の名でも知られる、六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)という臨済宗の寺院がある。この付近は古くから六道の分岐点があるとされ、この世とあの世の境目と信じられていたという。
そして、境内の本堂裏に井戸があり、現在は蓋がされており中を見ることはできないが、そこが地獄の入り口だという。また、逆に地獄からこちらへ戻るのに使ったという井戸も、旧境内地から発見されている。
この伝承の由来は『今昔物語』や大江匡房 (おおえのまさふさ) の談話を藤原実兼(ふじわらのさねかね)らが筆録した説話集『江談抄(ごうだんしょう)』などに見られる。
それらによると、小野妹子の子孫としても知られる小野篁(おののたかむら)は、夜ごとにこの井戸から地獄へ赴き、閻魔庁の役人としても勤めていたという。
小野篁は地獄の裁判に携われるような清廉潔白な人物かというとそう言い切れるものでもなく、文武に優れた人物であったものの、少々奔放過ぎるところや奇行も見られ、「野狂」などとも呼ばれた。百人一首で有名な「わたの原 八十島かけて 漕ぎ出ぬと 人には告げよ あまのつり船」の歌も、遣唐副使となった際に上司と喧嘩して天皇の怒りにふれ、流刑になる際に詠んだものというところからも伺い知れるだろう。
そんな彼であったが義理は感じるようで、『今昔物語』を見ると、かつて自分の罪をかばってくれた右大臣・藤原良相(ふじわらのよしみ)が一度病気で亡くなり閻魔大王の前に来た際、小野篁が便宜を図って蘇らせたという逸話が残っている。
小野篁がなぜそのような地獄での仕事に就いたのかは定かではないが、優秀な人物であったことや、上記のように天皇の怒りをかったものの後に許され、従三位・参議にまで出世しているあたりの愛されるキャラクターもあったのかも知れない。
話が逸れるので割愛したが、彼に関する逸話は数多くある。『宇治拾遺物語』のものなども面白いので、興味があれば一読を推奨する。
850年に彼が没して以来、井戸から戻ってきた形跡は見られないが、現在も地獄で裁判に携わっているかは不明である。
なお、この2つの井戸は期間限定で見学ができることもあるので、興味のある方は参拝してみてはいかがだろうか。ただし、転落しても戻ってこられるかはわからないので、こじ開けて中を見るようなマナー違反は御法度だ。
ジャンル | 社会 |
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掲載日時 | 2020/10/9 16:00 |
学習院大学文学部史学科卒
大正大学大学院仏教学研究科浄土学専攻修士課程修了
高校・大学は剣道部、前職は中学・高校の社会科教員。クイズ作家としてはクイズ研究会やサークル所属経験のない異色の経歴。クイズ番組は好きだったが、プレイヤーとしての経験はアーケードゲームのみ。
僧侶としても、仏教系大学に大学院のみ在籍という極少数派。
有限会社セブンワンダーズ入社後は僧侶とクイズ作家の兼業で活動。法話にもクイズ作成で得た知識や要素を取り入れ、独自性のあるものを展開しているほか、寺院での「仏教クイズ」も企画している。
好きなジャンルは仏教、世界史、サッカー。
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