江戸時代後期、葬儀シーンが小説の挿絵で自粛されたことがある?
江戸時代後期のいわゆる文化文政時代(18世紀末〜19世紀初頭)には、江戸を中心に庶民層による(但し、当時の人気クリエイターの中には幕府や大名家に上級役人として仕える武士も何割かいました)庶民層のための様々な大衆芸術が栄え、後世には「化政文化」として知られるほどでした。
しかしながら、一方では当時の政府(江戸幕府)によるそうした庶民文化への監視・圧力も強く、実際多くの作家や画家(浮世絵師)や版元(現代でいえば、出版社兼出版プロダクション)、その他様々な大衆文化の担い手(先に言及した、本職が上級の武士であった人々も含めて)が「贅沢だ」「風紀上よくない」「政府批判をしている」などとされ、処罰を受けたりクリエイター業を放棄・縮小することを余儀なくされたりしました。
但しそうした「お上による弾圧」といっても、「不適切」とされた描写があるから作者その他関係者が即刑事罰を受けたケースばかりではなく、幕府の側で一定のガイドラインを決め、そのガイドラインに触れるとされた場合には当該箇所を修正すれば出版(上演その他)し続けてよい、とするケースも実際にはかなりの割合であったこともわかっています。
そうした背景の中、幕府の出版物統制に関わる役所からの命令を受けて1808年に地本問屋行事(書物問屋組合の世話人。幕府の決めたガイドラインに基づき、出版物の検閲などの義務を負っていた)が作家・挿絵担当の絵師に向けて「合巻作風心得之事」というガイドラインが通達されました。
これは一言でいえば業界による自主規制ガイドラインであり、自粛しなければならない描写一覧でもありましたが、ここでクイズです。この1808年の「合巻作風心得之事」で自粛すべきとされた描写の中には、葬儀の場面を小説の挿絵にすることも含まれていたというのはマルでしょうか、それともバツでしょうか?
・・・正解は、「マル」です。
つまりストーリー展開上必要な場面として人間が死亡し、彼あるいは彼女の葬儀が行われる場面が小説の中にあったとしても、その場面をわざわざ挿絵にするべきでない、というようなことです。
他にそうした「人間が死亡すること」に関連する場面で挿絵にしてはいけないとされたのは、「水死者、あるいはその可能性のある水上の腐乱した遺体」「災害」「人間の首が斬られ、その首の主=斬られた人物の怨念によって飛び回る描写」などです。
こうした場面を挿絵にするのを自粛することが求められたのは、そうした「人間の死」に直接関わる場面は絵に描くだけで「穢れ」であり「不謹慎・不吉」だとされたことと、もう一つ、当時こうした大衆向け娯楽読み物は正月に新刊発行されるものだったため、そうした殺伐とした不吉な場面が文章だけならまだしも、視覚的インパクトのある絵に描かれるのはめでたい正月にふさわしくないとされたことなどが大きな理由です。
<参考文献>
佐藤至子『江戸の出版統制 弾圧に翻弄された戯作者たち』吉川弘文館、2017
ジャンル | 生活 |
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掲載日時 | 2023/2/1 16:00 |
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