龍馬はなんで交渉術に長けているのか?
慶応3年の4月、龍馬が乗っていたいろは丸と、紀州藩の明光丸が、追突事故を起こしました。龍馬ファンんにはお馴染みのいろは丸事件です。いろは丸は沈没してしまいます。龍馬はこの事件のあと、紀州藩と賠償交渉をはじめるのですが、この交渉で龍馬はいろんな策を駆使するのです。
最初の交渉の場は、沈没後に上陸した鞆の浦(広島)でした。片方は海援隊という小さな組織で、もう片方は紀州藩という雄藩です。最初は紀州藩は龍馬を舐めきってました。しかし龍馬はこの交渉の場で「万国公法」というツールを持ち出し、紀州藩の連中を困らせます。
龍馬は言います。「万国公法という国際法を、お前らは知らないのか?!? お前らが国際ルールを守らなかったから、正面衝突しちゃったんだ!法律に則って、明らかにお前らが悪い!賠償しろ!!」と詰め寄ります。
紀州藩の連中の頭の中は ?? です。ばんこくこうほう…? ほうりつ…?
「洋上で船が正面衝突しそうになったら、右に舵を切るだとか、左に舵を切るだとか、そういうルールがあるのをお前は知らないのか? なんでそのルールを守らないんだ?」龍馬の主張は法に従っているんだから、その法を守らなかった紀州藩が完全に悪いんだ、という主張です。
これが龍馬の「煙に巻く作戦」ですね。ほとんどハッタリと勢いです(笑)。
当時はまだ「法治国家」という概念が浸透しているはずもなく、万国公法など紀州藩の連中が知っているはずもありません。龍馬はそこを突いたのです。
紀州藩の連中は困り果てます。なかなか交渉が前に進みません。ということで、一旦鞆の浦から移動し、交渉の舞台が長崎に移ります。交渉の第2ラウンドのはじまりです。
(この交渉の場には、岩崎弥太郎が同席しています。面白い説が今もまことしやかにささやかれているのですが、詳細は後程)
なかなか前に進まない賠償交渉を有利に進めるため、龍馬は「世論を味方につけよう」と考えます。これもまた当時としては斬新な手法です。龍馬ならではの発想です。「船を沈めた紀州藩が償いをしろ!」という歌を、長崎の花街で流行らせるという戦法をとったのです。龍馬の思惑は見事にハマり、長崎の人々は海援隊を支持。「海援隊がんばれ!紀州藩をやっつけちゃえ!」という世論が形成されました。で、結果的に紀州藩が莫大な賠償金を支払うことで合意しました。
今では常識でも、当時としてはすごく新しい手法の「法律」と「世論」をフル活用し、紀州藩を屈服させちゃった龍馬なのでした。
最後に面白いエピソードを1つ。
この時の賠償金の行方が、実はよくわかっていないのです。いったいこの莫大なお金はどこに流れたのか? そこで岩崎弥太郎が注目されるのです。
三菱財閥の礎を作った岩崎弥太郎。当然ですが事業をデカく成長させるには、手元の資金が必要です。弥太郎はその金をどうやって工面したのか? そうです!弥太郎がいろは丸事件の賠償金をネコババした説が、噂では片づけられないほどの信ぴょう性をもって語られているんです。だから今でも三菱のテレビコマーシャルとかを見る度に、なんかイヤな気分になったりする自分がいます…笑
ジャンル | 歴史 |
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掲載日時 | 2020/5/19 16:00 |
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