高杉晋作が日本を救った、最高のファインプレーは何?
日本は欧米列強に植民地化される不幸から回避できた国です。アジアの中ではとても珍しい国なんです。その立役者のひとりが高杉晋作だということは、あまり知られていません。
幕末期、欧米列強はアジアに勢力を伸ばし、当然日本も狙われていました。その最大の危機が訪れたのは文久3年の5月のこと。第14代将軍・家茂は、外国嫌いの孝明天皇に対して「文久3年5月に攘夷を決行する」と約束していました。でも家茂の本音は「攘夷なんてムリだ!」。
でも長州藩の連中はこの家茂の言葉を信じ、下関沖に停まってたアメリカ船を砲撃しちゃいます。いきなり砲撃してくるなんて、アメリカ人は超ビックリしたはずです。その後もフランス艦やオランダ艦にも攻撃してます。もう無茶苦茶です。で、翌年の夏、イギリスも含む4か国の連合艦隊が、長州に仕返しにやってきます。長州の戦力では、この4か国には勝てるはずもなく…。あっさり降参です。
戦争が終わると、講和交渉がはじまります。長州藩は講和使節として、なんと高杉晋作を担ぎ出します。他のどの隊士よりも腹がすわっている高杉に賭けたのでしょう。高杉はこの役割を引き受け、イギリスとの交渉に臨みます(伊藤博文が同行しています)。
講和交渉の際にイギリス人の通訳をやっていたアーネスト・サトウは、この時の高杉のことを「魔王」のようだったと評したそうです。いきなり訳のわからないことをしゃべり出したり、論点をずらして煙に巻いたり、想像するに高杉は「何をしでかすかわからない、とてもやっかいな男」を演じたと思うんです。イギリス人も辟易だったようです(笑)。この交渉の中でイギリスは長州藩に対して「彦島をよこせ!」と要求しています。彦島とは下関の南端にある島。彦島を租借地にしたかったようです。でも高杉はまたも煙に巻き、突っぱねます。
実は高杉はこれよりも以前に、中国・上海に渡ってます。上海で彼は、上海の街を我が物顔で闊歩する欧米人を目の当たりします。「日本をこんな風にしちゃダメだ…」と考えたはずです。その経験もあり、彦島を引き渡すなんて絶対にできないと思ったに違いありません。
もしこの交渉で彦島をイギリスに渡しちゃってたら、日本はどうなってたことか…。後に伊藤博文が「あのとき晋作が要求を突っぱねてなかったら、彦島は香港になっただろうし、下関は九龍半島になってただろう」と語ってます。
高杉の一世一代のハッタリ交渉で、日本は彦島を守り抜き、その後も列強に植民地にされることはありませんでした。
ジャンル | 歴史 |
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掲載日時 | 2020/5/10 16:00 |
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