キリスト教美術でタブー化した表現を受け継いで流行した神話画は?
以前「ルネサンス後期〜バロック期初頭の頃に、当時勃興してきたプロテスタント諸派の勢力に対抗するためカトリック教会が後世『対抗宗教改革』とよばれる一連の内部改革を行い、その中で『世俗的あるいは非礼な宗教画は聖堂に置くべきでない』と決められたため礼拝図でのいわゆる『異教風の、又は非礼な(とみなされた)表現』がタブーとされた一方、逆にキリスト教的な解釈で描かれた異教神話を題材とする美術作品はより盛んに作られたことに言及しました。
そして実はもっというと、この「キリスト教的解釈によって描かれた、異教神話を題材とする美術作品」の中には、まさに以前のキリスト教美術では盛んに描かれたものの対抗宗教改革により「非礼」とみなされタブー視された表現が流入してきたことで、かつてはほとんど描かれなかったもののそれ以降に一大人気テーマになった題材も結構あります。ではここでクイズですが、その「キリスト教美術でタブー化した表現を受け継いだことで人気になった、それまでは余り描かれなかった神話画のテーマ」は次のうちどれでしょう(今回は正解は一つとは限りません)?
1 神々の女王ヘラ(ローマ名ユノ)が、幼児ヘラクレスに母乳を飲ませる「天の川の起源(「ヘラクレスの養育」などとも)」。
2 父である先代最高神クロノス(ローマ名サトゥルヌス)に命を狙われたため、男女の妖精によって隠れて育てられる最高神ゼウス(ローマ名ユピテル)の幼児期の姿。
3 故人である像主の偉大さを顕彰するため描かれた、死後の像主の魂が昇天して異教の神によって天の国に迎えられる、いわば広義の神話的肖像としての「神格化図」。
・・・正解は、1番と2番です。なお3番の「神格化図」についても興味深い作品が複数残されていますが、そもそもの「元ネタ」のキリスト教美術のテーマとしてタブーとされたわけではないので、今回のテーマからは外れるため割愛します。
まず1番の「天の川の起源」ですが、元になったストーリーを大まかにいうと最高神ゼウスが人間の女性アルクメネとの間に儲けた子息で、後にギリシャ神話の代表的なヒーローとなるヘラクレスが乳児期の頃、彼に神となる資格を授けるためゼウス(あるいは商業と伝令の神ヘルメス(ローマ名メルクリウス)か知恵の女神アテナ(ローマ名ミネルヴァ)とも)がヘラを騙して幼いヘラクレスに授乳させたところ、強く吸い付いたのでヘラはこの子どもが夫ゼウスと他の女性の子どもであるヘラクレスだと悟り押しのけ、彼女の母乳が天空に飛び散って天の川になったというものです。
飛び散る母乳といえば、幼児イエスに授乳する聖母の像は「(殉教聖人の殉教シーンなどでもないのに)神聖なお方が肌を露出しているのはよくない」として対抗宗教改革ではタブーとされたものの、聖母が乳房から母乳を飛び散らせる表現(「慈悲」として全人類に降り注ぐものとされたり、カトリックの聖人の一人クレルヴォーのベルナルドゥスの聖人伝の一場面に描かれたりする)はそれ以降もタブー視はされず普通に描かれたので、ここでのヘラ像は容易に聖母像とイメージが重なったことでしょう。実際、ルーベンスの描く『天の川の起源』でのヘラは落ち着き払って見える表情で後光の差す頭にベールを被っており、聖母がそのままセミヌードになったような雰囲気です。
<ルーベンス作の『天の川の起源』。ヘラ像の描写には、明らかに聖母像がイメージされています>
また2番の「隠れて育てられる幼児ゼウス」の表現(なぜゼウスの父クロノスが子息の命を狙ったのかについては、以前「死神像のルーツ」で少々触れました)の元になったキリスト教美術の表現ですが、これはまさに母乳を飲む幼児イエスの描写がそれにあたるでしょう。実際、クレタ島のイデ山に隠れて男女の妖精や山羊アマルテイア(彼女も妖精であり、一説に太陽の神ヘリオスの息女ともされます)に育てられる幼児ゼウスというテーマ(「ユピテルの養育」)は「幼児イエスに授乳する聖母」の表現がタブーとされるようになってから盛んに描かれ、幼児ゼウスがアマルテイアの乳房から直接山羊乳を飲んでいたり、器に絞ったものをお付きの妖精に飲ませてもらったりしています。
そして更には、フランドル(現ベルギー)の画家ヨルダーンスの『幼児ユピテルを育てる山羊のアマルテイア』などにみられるような、幼児ゼウスがボウルに絞られた山羊乳を自力でそのボウルを持って飲めるまでに成長したことが前提の描写もありますが、これも「幼児イエスに授乳する聖母」のバリエーションの一つである(そして世俗性が強いとして描かれなくなった)、あたかも離乳食を準備しているかのような聖母とスプーンを持って待つ幼児イエスの表現と相似形です。海野泰男氏は、このいわば「離乳食の聖母子」像というべき表現で幼児イエスの持つスプーンは「<母>の養育の成果たる聖子の<成長>と<知恵>の象徴」であると指摘していますが、この少し大きくなった幼児ゼウスを描く作品でのボウルも似た意味が込められているといえます。実際、ヨルダーンスは更にもう少し大きくなった幼児(というよりむしろ少年)ゼウスを主題とする『ユピテルの教育』も描いているほどです。
<ヨルダーンス作の『幼児ユピテルを育てる山羊のアマルテイア』。なお、幼児ゼウスが持っている小さな壺には何が入っていて何を象徴するのかまでは筆者は存じておりませんが、矢張り幼児ゼウスの成長と知恵を示すものでしょう>
こうした様々な作品からも、神話画やキリスト教美術の日本での一般的なイメージ以上の多様性・多層性がうかがえます。
<参考文献>
マルグリット・フォンタ、遠藤ゆかり訳『100の傑作で読むギリシア神話の世界 名画と彫刻でたどる』創元社、2018
海野泰男『授乳の聖母/セザンヌ夫人の不きげん』文藝春秋企画出版部、2018
視覚デザイン研究所編『鑑賞のためのキリスト教美術事典』視覚デザイン研究所、2011
ジェイムズ・ホール、高橋達史・高橋裕子・太田泰人・西野嘉章・沼辺信一・諸川春樹・浦上雅司・越川倫明訳、高階秀爾監修『西洋美術解読事典 絵画・彫刻における主題と象徴』河出書房新社、2021
オード・ゴエミンヌ、ダコスタ吉村花子訳、松村一男監修『世界一よくわかる! ギリシャ神話キャラクター事典』グラフィック社、2020
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ジャンル | 歴史 |
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掲載日時 | 2023/4/9 16:00 |
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