歌人・西行の前職は?
「西行」という歌人・兼・法師をご存じですか?
百人一首では
嘆けとて 月やは物を 思はする かこち顔なる わが涙かな
訳:嘆けと言って月は物思いをさせるのだろうか。かこつけがましくこぼれおちる私の涙よ。
が選ばれています。
日本全国を自分の足で歩き回り、その土地ごとの和歌を詠んでいます。
後世の江戸時代を生きた松尾芭蕉も、西行を師としたと言われています。
しかし、西行は「歌人・兼・法師」という肩書きからは想像できない前職があります。
それは…なんと「武士」。
正反対の雰囲気を持つ職業です。
では、西行の人生について見ていきましょう。
西行が生きた時代は平安時代から鎌倉時代の過渡期。
佐藤義清(さとうのりきよ)という名前で、「おごれる」時代の平家の一員でした。
当時から和歌が上手でイケメンのプレイボーイ。
何もかも持っているように見えるエリートが23歳のとき突然出家します。
出家とは、基本的には俗世との関係を断ち、仏道に帰依して生きて行こうとすることです。
つまり、今まで積み上げてきたキャリアや人間関係を全て捨てたのです。
理由は明らかになっていません。
武士として戦っている間に戦乱に嫌気がさしたからとか、天皇の妻(皇后)と不倫関係になってしまったからとか噂はいくつかありますが、不明のまま。
それからは法師として全国を旅しつつ、和歌を詠みつつ、穏やかに生活していたようです。
そしてなんと72歳まで生きたと言われています。
23歳で出家しているので、かなり長い間法師だったことになりますね。
そしてさらにカッコイイのが死に際。
ここでもう一つ、西行の句を紹介します。
願わくは 花の下にて 春死なん その如月の 望月の頃
訳:望みは満開の桜の下で春に死ぬこと。如月(旧暦2月)の満月の日に。
旧暦の2月というと、今では3月のことです。
桜が満開の時期です。
さらに「如月の望月の頃」とは釈迦が入滅した日・2/15を示しています。
法師として、釈迦と同じ日に死にたいと考えたのでしょう。
和歌を詠んだのは西行が亡くなる10年前だったのですが、なんとこの願いほぼ叶えられることになります。
西行は、まさに桜満開の時期・釈迦の入滅の翌日の2/16に亡くなったそうです。
ジャンル | 歴史 |
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掲載日時 | 2021/11/28 16:00 |
大阪府出身・在住。
同志社大学文学部国文学科卒業。
現在は予備校で(比較的)新人講師として勤務。
担当ジャンルは【古典文学】
授業では、本編よりも脱線話の方がウケて悲しい反面、過去の自分もそうだったので生徒を責められません。小ネタを収集する日々です。
基本どんなジャンルでも興味あり!
でも、結局言葉(=ことのは)のもつ魅力から逃れられずここまで来てしまいました。
尊敬する人は中2のときからロザンの宇治原さん。好きなことは、得意ジャンルが全く違う同居人とクイズ番組を見ながらやいやい言うこと。
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