クリンガーの『ベートーヴェン像』を英雄的と賞賛した作家は?
筆者は19世紀後半〜20世紀前半に活躍したドイツの彫刻家・画家(より正確にいえば総合芸術家というべきですが)マックス・クリンガーの手になる『ベートーヴェン像』(1902年完成)を何度かテーマにしたり、メインテーマでなくとも言及したりしておりますが、それはこの『ベートーヴェン像』が、単に偉人顕彰としての神話的肖像(像主を古代の神話の登場人物になぞらえた姿に描いた作品)であるだけでなく「キリスト教時代に入ってから、その各時代の新しい解釈によって制作された(古代にはなかったが後世に一種の二次創作として追加されたエピソードも含む)『ギリシャ神話を題材にした美術作品』」のひとつの成熟の形でもあるからです。
そうした「『ギリシャ神話を題材にした美術作品』のひとつの成熟のあり方」としての側面で筆者が特に重要だと理解し、また興味深いと思っている点があります。それは、偉大な先人を記念するための神話的肖像の中には、像主の現実世界での業績や生き方・ものの考え方に合わせて彼あるいは彼女がなぞらえられている神話上の人物のアトリビュート(持物。有名な物語などの登場人物を描く際、一種の“お約束”としてほとんど常に一緒に描かれる品物や動植物など)を追加・削除したり別のものに置き換えたりなどされているケースがあるのですが、クリンガーの『ベートーヴェン像』にはそれがより顕著である点です。
端的にいえばこの像は作曲家ベートーヴェンをギリシャ神話の最高神ゼウス(ローマ名ユピテル)になぞらえた姿に描いたものですが、像主ベートーヴェンの現実世界での人物像に合わせるため、ゼウスの重要なアトリビュート3つのうちこの世の権力の象徴である「王笏」と“神の裁き”を象徴する「稲妻」を捨て、この世の権力の象徴であるだけでなく精神的美徳の象徴でもある「鷲」のみを連れた姿に表現されているわけです。
また、像のポーズもルネサンス以降伝統的に描かれてきたゼウス像のように胸を張り脚を開いていかにも王者らしく威風堂々といった雰囲気で玉座に腰掛けているのでなく、王笏を持たないこともあり玉座に腰掛けてこそいるものの両手を胸の前で握り拳にして脚を組んで座り、いささか前かがみの姿勢(これは一つには鷲と視線を合わせる(これもこれまでのゼウス像にはない描写でした)ためでもありますが)を取っているなど、それまでのゼウス像を見慣れた人々にとっては色々と革新的であり想像を絶するものでした。
そのため、公開された際のリアルタイムでの評価は必ずしも肯定的なものばかりでなく、「背中を丸めていて傷つきやすい感じのする、もはや“伝統的な”ゼウス像とは似ても似つかない貧弱な印象の謎キャラのようであり、ベートーヴェンの偉大さを冒涜するものだ」という声も上がりました。
中でも美術史学者のアウグスト・シュマルソーは、『ベートーヴェン像』は「ゼウス像どころか、服を脱いで下半身にタオルを巻き付けた公共浴場の入浴客に見える」と評したほどです。また当時の複数の大衆紙では、このベートーヴェン像を現実の日常での様々な動作をする人間に見立てて「ゼウス像っぽくない」ことを強調した時事ネタ1コマ漫画が描かれました。
しかし矢張り『ベートーヴェン像』への圧倒的にポジティブな評価も決して少なくなく、例えば美術批評家のルードヴィヒ・ヘヴェシはこのベートーヴェン像を、失われた古代の伝説的なゼウス像『オリンピアのゼウス像』を確かに受け継ぐものとして絶賛しました。一方同じく高い評価であっても、とある作家は逆に「従来のゼウス像とはかけ離れた一見弱そうな謎キャラに見えるからこそ、むしろ英雄的だ」と評しました。その作家とは、一体誰でしょう?
1、『ベニスに死す』などの作者、トーマス・マン。
2、『春の目覚め』などの作者、フランク・ヴェーデキント。
3、『車輪の下』などの作者、ヘルマン・ヘッセ。
・・・正解は、1番のトーマス・マンです。マンは「巨大な神の玉座に小さな弱々しい人間として座り、真剣な熱意に満ちた表情で(超越的な力の象徴である王笏や稲妻を持たずに)拳を握りしめているからこそ、弱さを克服し優しさを見せる英雄性を感じる」(大意)というベートーヴェン像評を残しています。
このように、公開された際のリアルタイムでのクリンガーのベートーヴェン像への評には「最高神になぞらえられたはずなのにゼウス像らしくない」「いや、ちゃんとゼウス像らしく威風堂々としている」という正反対の評価の声があり、更には「ゼウス像らしくない」という評も「ゼウス像とは似ても似つかない弱そうな謎キャラとして描かれており、像主ベートーヴェンに失礼だ」「いや、およそゼウス像的でない弱そうな謎キャラだからこそ、逆に人間としての英雄性を感じる」というこれまた正反対の評価に分かれていたわけです。こういった点も、偉人顕彰系の神話的肖像の評価の面白い点であり、且つ難しい点でもあります。
<参考文献>
オード・ゴエミンヌ、ダコスタ吉村花子訳、松村一男監修『世界一よくわかる! ギリシャ神話キャラクター事典』グラフィック社、2020
Barbara John 『Max Klinger:Beethoven』E.A.Seemann、2004
Topless Beethoven to take centre stage in Leipzig survey of Symbolist artist Max Klinger:The Art Newspaper
ジャンル | 歴史 |
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掲載日時 | 2021/11/16 16:00 |
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