『ヘラクレスとオンファーレ』の描かれ方の劇的な変遷とは?
筆者は「美術史」テーマの拙稿で、複数回「キリスト教時代に入って描かれたギリシャ神話を題材にした美術作品の中には、実は古代に書かれた神話になかったエピソードや書かれたとしても重要とみなされなかったエピソードが案外ある」という指摘をしており、そうした美術作品を「二次創作的神話画」とよんでいます。
今回のテーマである『ヘラクレスとオンファーレ』も、古代に語られ書かれてはいるものの必ずしも重要なエピソードとはみなされなかったくだりを後世に設定を大幅に膨らませて描いた、典型的な「二次創作的神話画」の一つです。
この『ヘラクレスとオンファーレ』の元々の古代神話でのエピソードは比較的簡潔な書かれ方をしており、最高神ゼウスと人間の女性でミュケナイ王女アルクメネとの間の子息で名高い英雄のヘラクレスが、誤って殺人を犯してしまったかどで罪を償うためにリュディアの女王オンファーレに一定期間奴隷として仕えた際、彼女に愛人になることを所望されその通りにするというものです。なお、古代に書き残された神話の中にもこのエピソードを省略したバージョンもあるらしく、私が記事を書く際にもよく参考文献にしている『世界一よくわかる! ギリシャ神話キャラクター事典』でも言及されていません。
このエピソードは後世には神話画の人気テーマの一つとなり、ルネサンス期にはヘラクレスを愛したオンファーレが彼を女装させて“男侍女”として侍らせる描写が登場しました。そしてそれから100年もしないうちにこれまた画期的な設定が付け足され、更にはバロック〜ロココ期に入ると作品の雰囲気も劇的に変化していきます。その変化とは、どんなものだったでしょう?(今回の答えは、一つとは限りません)
1,オンファーレも男装して描かれるようになった。
2,ラブシーンとして描かれていたのが、バロック〜ロココ時代以降はドタバタ喜劇的なコミカルシーンとして描かれるようになった。
3,2番とは逆に、ドタバタ喜劇シーンとして描かれていたのがラブシーンとして描かれるようになった。
4,オンファーレがペットの(と思われる)動物を連れて描かれるようになった。
・・・正解は、1番と3番です。
これはドイツルネサンスの画家クラーナハの1530年代後半の作品です(登場人物は当時のドイツの人々の姿に描かれています)が、オンファーレ(後述する他バージョンの作品から推して、右端の女性と思われます)と2人の侍女は面白おかしくてたまらないといった雰囲気でヘラクレスに女装させており、あたかも『笑ってはいけないシリーズ』風というか罰ゲームシーンのようなドタバタ喜劇的なイメージです。なお、クラーナハによる同じテーマの作品には侍女がもう1人増えていてオンファーレが華やかな帽子を被っている(このことで、その場面で最も身分の高い人物であることが示されている)バージョンのもあります。この時点の作例では、オンファーレはまだ男装していないことに注意です。
https://www.khm.at/en/objectdb/detail/1818/?lv=detail(ウィーン美術史美術館)
リンク先はクラーナハ作品から約50年後の1585年にオーストリアの画家シュプランガー(スプランヘル)によって描かれた『ヘラクレスとオンファーレ』です。オンファーレがライオンの毛皮を肩に掛けて棍棒を持っている=男装姿である点に注目です。この「ライオンの毛皮と棍棒」は、美術作品でその人物がヘラクレスであることを示すアトリビュート(持物)ですが、クラーナハ作品では身分の低い侍女風の服装だったヘラクレスはここでは華やかなティアラと貴婦人風衣装姿であり、オンファーレと衣装の交換をしたことがわかります。
画面の上には愛の神エロス(英語名のキューピッドの方が日本ではなじみ深いです)がカーテンに隠れており、ラブシーンであることが示されています。ラブシーン化といえば、オンファーレの侍女が1人になり、かなり年配になって目立たない位置に控えている点も重要です。
https://www.musey.net/9567/9568(MUSEY)
そしてこちらが、クラーナハ作品から約200年後に描かれたロココ期のフランスの画家ブーシェによる『ヘラクレスとオンファーレ』です。ヘラクレスとオンファーレがヌード姿になっていることもあり、罰ゲームシーン風のクラーナハ作品と同じテーマを扱った作品とはとても思えないほど、熱烈なラブシーンになっています。
オンファーレの侍女は完全に退場し、目立つ位置に現れたキューピッド(何と2人に増えています)がヘラクレスのアトリビュートであるライオンの毛皮と、彼がオンファーレに命じられた仕事の道具である糸紡ぎ棒をおもちゃにして遊んでおり、ヘラクレスとオンファーレが職務を一旦忘れて徹底的に愛し合っていることが示されています。ここでは最早女装とか男装とかは問題にはされていません。
つまりこのように徹底したラブシーンとして描写することで、ヘラクレスが女装してオンファーレが男装したという(古代神話にはない)1500年代の終わり頃以降の“お約束”的描写をほぼ抜きにした、意図しない(と思われる)古代神話の「オンファーレは奴隷として召抱えたヘラクレスを愛人にしたいと所望し、彼はそれに応えた」という余り深入りのない描写への回帰になっているわけです。
なお、この『ヘラクレスとオンファーレ』のテーマは18世紀末〜19世紀前半の新古典主義時代及びその後のいわゆるアカデミズム美術では急速に扱われなくなってきますが、それは一つにはこの元々の古代神話でのエピソード及びルネサンス時代以降“お約束”とされてきたヘラクレスの女装とオンファーレの男装の描写が、折から西洋で起こりその後日本も含む世界各地に広がった、いわゆる「近代型男らしさ/女らしさ規範」(いわゆる「富国強兵」や「良妻賢母」といったイデオロギーも、これに基づくものです)にそぐわないとみなされた点も多いと考えられます。
<参考文献>
オード・ゴエミンヌ、ダコスタ吉村花子訳、松村一男監修『世界一よくわかる! ギリシャ神話キャラクター事典』グラフィック社、2020
海野弘解説・監修『366日物語のある絵画』パイ インターナショナル、2021
春燈社編『怖くて美しい名画』辰巳出版、2020
ジャンル | 歴史 |
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掲載日時 | 2021/9/15 16:00 |
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