最高神の姿のベートーヴェン像で表現された
新しい最高神イメージは?
以前取り上げた、19世紀後半〜20世紀前半に活躍したドイツの彫刻家クリンガーによる大理石像『ベートーヴェン像』は、折から再評価の気運が高まっていた作曲家ベートーヴェンをギリシャ神話の最高神ゼウス(ローマ名ユピテル、英語発音ジュピター)になぞらえた姿に描いたいわゆる神話的肖像ですが、あくまで「精神世界・芸術世界の覇者」としての姿であるため一般的なゼウスのアトリビュート(持物(じぶつ)。
神話や聖書などの登場人物を美術作品で描く際、ほとんどその人物の身体の一部のように「お約束」として一緒に描かれる物や動植物など)である王笏と稲妻と(お付きの聖鳥の)鷲のうち、政治的権力を象徴する王笏や「神の裁き」の象徴である稲妻を捨て、しばしばこの世の権力の象徴とされる一方で「精神的な高貴さ」などの精神的徳を象徴してもいる(『ベートーヴェン像』では後者のイメージの)鷲を連れた姿であるということを指摘しました。
実はもう一つ、それまでのギリシャ神話を題材とする美術作品でのゼウス像にはほとんどみられない特徴が、クリンガーの『ベートーヴェン像』にはあります。
それはどんなものでしょうか?
(今回は自由回答です。ヒントは先程言及した「鷲」です)
・・・正解は、「鷲と視線を合わせている」です。
横から見た画像を見るとよりはっきりとわかるのですが、鷲はゼウス化して玉座に腰掛けるベートーヴェンを仰ぎ見るような位置と姿勢であり、ゼウス化したベートーヴェンも若干前かがみの姿勢であり、視線をちょうど鷲の顔の位置に落としています。
参考までに、他の有名なゼウス像と比較してみます。
これはルネサンス以降のゼウス像の最高傑作の一つともいわれる、19世紀前半〜半ばに活躍したフランスの画家アングルの比較的初期の(クリンガー作品の約100年前の)作品『ユピテルとテティス』ですが、ユピテル=ゼウスにしなだれかかる女性は彼の愛人ではなく、トロイア戦争でギリシャ連合国軍に従軍して活躍したが戦死した英雄アキレウスの母で海の女神テティスです(この場面のいきさつを語る神話も興味深いですが、今回は割愛します)。
ここでも鷲はお付きの聖鳥らしく主人ゼウスを仰ぎ見ていますが、ゼウスは(テティスに彼女の子息アキレウスを助命するよう嘆願されていることもあり)鷲を全く見ず、かといって愛人でない(より詳しくいえば愛人にすることを諦めた(このくだりも興味深いストーリーがありますが、今回は割愛します))女性に甘えられていることの照れくささを隠すかのように、ことさらにおごそかな表情で正面を向いています(補足すると、玉座下部のレリーフは稲妻で敵勢を討つゼウスがモチーフです。つまり、アングル作品では「王笏」「鷲」「稲妻」が揃っているわけです)。
他にも様々な「鷲を連れたゼウス像」は沢山描かれましたが、ほとんどがあくまで「ゼウスのアトリビュート」としての役割でそこにいるといった雰囲気であり、ゼウスが積極的に鷲と視線を合わせている=強い信頼関係を表現した作例は皆無に等しいです。
そうしたことを念頭に置いて考えると、クリンガーの『ベートーヴェン像』での鷲は像主ベートーヴェンがゼウスになぞらえられていることを示すアトリビュートであるだけでなく、精神的徳=精神世界の覇者性の象徴でもあり、更には主人と強い絆や信頼関係で結ばれた従者である(それは取りも直さず、「主人」であるゼウス化したベートーヴェンが普段から愛情と真心を持って鷲と接していることも意味する)ということも表現されているわけです。
つまりこの『ベートーヴェン像』は、ベートーヴェンの偉大さを端的に表現するために最高神になぞらえた姿で描くと同時に、(作者クリンガーがどこまで意図していたかは、結局彼本人にしかわかりませんが)結果的にルネサンス以降様々に描かれてきたゼウス像の「ネガティブな(と、もしかしたらクリンガーが解釈したかも知れないというか、少なくとも生前には政治的・経済的権力と縁遠かった人物にふさわしくないと解釈した)イメージ(王笏で象徴されるこの世の権力や、稲妻で象徴される「敵対者」討伐も含む)」を正反対にした、いわば「リファインされたゼウス像(となることで、国家元首ばかりでなく(生前は不遇だった)芸術系偉人もなぞらえられるようになった存在)」でもあるといえるわけです。
<参考文献>
ヒルデガルト・クレッチマー、西欧文化研究会訳『美術シンボル事典』大修館書店、2013
オード・ゴエミンヌ、ダコスタ吉村花子訳、松村一男監修『世界一よくわかる! ギリシャ神話キャラクター事典』グラフィック社、2020
ジャンル | 歴史 |
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掲載日時 | 2021/8/4 16:00 |
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