平和の神が戦争の神を討伐する神話画は、19世紀にどうなった?
平和の神が戦争の神を討伐する神話画は、19世紀にどうなった?
ギリシャ神話の登場人物を題材にした(但し、後世に作られたいわば二次創作的ストーリーを描いた)西洋美術の中でも特にバロック〜ロココ時代に人気だった「知恵と平和の女神アテナが、戦争の神アレスを打ち負かして平和を守る」というテーマ(補足すると、古代神話でのアテナは「より犠牲を少なくする戦略的な、時には直接の武力によらないこともある戦い(一言でいえば、「孫子の兵法」的な戦い)の神」ではあっても「戦い自体を積極的に止める平和の神」としての面は、時代背景もあり余りありません)は、その後の新古典主義時代以降になるとほとんど描かれなくなります。
しかし、この「アテナのアレス討伐」のテーマは実は、(古代神話のというよりは二次創作的作品の)アテナ及びアレスのいわば「派生キャラ」というべきキャラクターの登場する作品に受け継がれていました。
但し、近代に突入していたこともあり最早前近代のような勧善懲悪ストーリーではなく、好ましい状態も永遠には続かないという一種の無常観をテーマとした今までとは大きく異なる作品ではありますが。
そのアテナとアレスの「派生キャラ」は、イギリス出身でアメリカに帰化したロマン主義の画家トマス・コールによって描かれていますが、ここでクイズです。コールによる「アテナとアレスの派生キャラ」は、一体どんなものでしょうか(今回は自由回答です)。
・・・正解は、「画中の彫像」です。
「アテナとアレスの派生キャラとしての画中の彫像」は、コールが1833〜36年に描いた5枚1組の連作『帝国の推移』に登場します。
ローマ帝国をイメージしたとある架空の古代文明帝国の誕生から遺跡化までを同じ地点から見た光景として描いた作品ですが、近代国家として急速に発展し繁栄におごるアメリカへの警告としての側面もあったといわれます。いってみれば、『帝国の推移』はある意味では「元のキャラクターの派生キャラが登場するが、元作品とは全く違う(もっというと、その派生キャラがより過酷な運命に見舞われる)世界観の作品としての二次創作あるいは三次創作(わかりやすいイメージとして比較的メジャーなところでは、「実装石」や「東方ゆっくり(特にいわゆる「ゆ虐」とよばれるジャンル)」(ご存じでない皆様には検索エンジンでのキーワード検索をお勧めしますが、いささかショッキングな表現があるので注意です)のようなものがあります)」なわけです。
『帝国の推移』の3枚目『繁栄』と4枚目『衰退』にその彫像は登場しますが、「アテナの派生キャラ」と「アレスの派生キャラ」は同じ画面には登場しません。
平和の中で最盛期を迎える帝国の都を描いた『繁栄』をよく見ると、平和の神と思われる(その理由については後述します)像(=アテナの派生キャラ。以下「平和の神像」)が建っています。一方敵軍(帝国に敵対する国の軍か、あるいは帝国内の被抑圧層の反乱軍と考えられます)に攻め込まれて炎上する都を描く『衰退』では、盾を構える戦争の神らしい像(=アレスの派生キャラ。以下「戦争の神像」)が目立つ位置に建っています。
重要なのは『繁栄』の時点では戦争の神像はまだ建っておらず、『衰退』では平和の神像は既に撤去されている(戦争の神像は破損しているもののまだ辛うじて建っている点などからして、戦いで破壊された可能性は低いです)点です。そしてこの描写こそが、この2つの像を平和の神及び戦争の神であるとの解釈を可能にする点です。
つまり『繁栄』の時点では平和の神を信仰して平和的統治を尊ぶ価値観の時代だったが、『衰退』の直前になると戦争の神を信仰して平和の神への信仰を捨て(そして政治的にも武力による国力増大を良しとして)、帝国は(恐らく帝国によって武力侵攻を受けた)他の国か自国内の被抑圧層から恨まれ、武力攻撃を受け衰退する結果となった、ということです。
要するに今までの「アテナのアレス討伐」とは真逆のテーマなわけですが、矢張り現実には「平和の神が戦争の神を成敗し、めでたしめでたし」とはいかないということと、そして一見様々なことがうまくいっていてもこのまま現状肯定してばかりではいけないという思いを端的に表現した作品だといえるでしょう。
<参考文献>
解説・監修海野弘『ファンタジーとSF・スチームパンクの世界』パイ インターナショナル、2017
ジャンル | 歴史 |
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掲載日時 | 2021/7/5 16:05 |
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