寺内正毅像の、実現されなかった
「神話的肖像」化のアイデアとは?
日本(更にいえば東洋文明圏全般に、そうした傾向は多かれ少なかれありました)では神話や伝説などを美術の題材にする際の「アトリビュート(持物(じぶつ)。西洋美術で伝統的によくみられる表現の一つ。
様々な物語などの特定の人物(「人間」とは限らない)を美術作品の題材として描く際、一種の「お約束」的にほとんど常に一緒に描かれる特定の物)」の文化が仏像を除くと(仏像の場合も、厳密にいえば西洋美術的なアトリビュートとは意味が異なりますが)ほとんど発達しなかったこともあり、近代に入り西洋美術の影響を受けるようになってからも現代人(ここでは、その作品が制作された時代の人物)の像主(モデル)を神話や伝説、古典文学などの登場人物になぞらえた「神話的肖像」はほとんど作られませんでした。
なお、江戸時代〜明治初期の浮世絵・錦絵の人気ジャンルの一つとしての「見立て絵/やつし絵」は西洋美術的な「神話的肖像」とは若干意味合いが異なるので、今回はそれについては触れません。
ところで、初代朝鮮総督(1910年から太平洋戦争終結まで、日本は朝鮮半島を植民地支配していました)であり陸軍元帥、その後総理大臣となった寺内正毅が1919年に亡くなると翌年に彼の銅像を建てることが決まり、彫刻家北村西望によって作られ1923年に完成して当時の陸軍用地だった東京・三宅坂に建てられました(但し、太平洋戦争中に金属物資化用のいわゆる銅像応召のため供出され現存せず、戦後は寺内像の跡地に彫刻家菊池一雄による裸体婦群像の『平和の群像』が建っています)。
実は、この寺内像は(最終的には陸軍軍人としてのマント姿の騎馬像になりましたが)最初のアイデアでは一種の広義の「神話的肖像」の要素があるものでした。その広義の「神話的肖像」の要素とは、次の2つのうちのどちらでしょう?
1,台座には平和の象徴である鳩と戦いの象徴である鷲のレリーフが彫られ、(恐らく軍服姿あるいは大礼服姿=つまり「現代」の服装の)寺内が虎の背に腰掛けている。
2,騎馬像ではあるが、寺内は古代日本あるいは中世日本の甲冑姿=「往時」の武人になぞらえられた姿である。
・・・正解は1番です。この「神話的肖像」化は結局「奇抜」で「醜悪」だという抗議の声(より具体的には、「台座に平和の象徴の鳩と戦いの象徴の鷲が同居しているのは、仁政のために武力的専制を行うイメージになり矛盾がある」とか、「寺内はいわゆる長州出身派閥を背景にして権力の座に就いたので、虎に腰掛けるのは『虎の威を借る狐』イメージを強調する」などというもの)によって不採用になり、陸軍軍人としての騎馬像に決定されました。
なおこの「陸軍軍人としての騎馬像」バージョンに決まってからも表現の仕方で一悶着あり、元のアイデアでは寺内が乗っている馬は跳ねていたのですが、「陸軍元帥たる者、荒々しい馬でも優しく乗りこなすことができるようでなければならない」という抗議のため馬のしぐさはより「おとなしい」ものに変えられた経緯があります。
<参考文献>
平瀬礼太『銅像受難の近代』吉川弘文館、2011
小田原のどか編著『彫刻SCULPTURE1 空白の時代、戦時の彫刻/この国の彫刻のはじまりへ』トポフィル、2018
平松洋『ビジュアル選書 名画の謎を解き明かすアトリビュート・シンボル図鑑』KADOKAWA、2015
ジャンル | 歴史 |
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掲載日時 | 2021/4/7 16:00 |
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