幕末の志士の活躍の陰には、芸者さんの存在が!?
幕末の志士たちにとって、「女遊び」とは「芸者遊び」でもありました。たとえ奥さんがいたとしても、芸者さんと夜を一緒に過ごすことは普通のことでした。
長州藩の高杉晋作には正妻がいましたが、“おうの”という芸者さんにも愛情を注いだことで有名です。一説には高杉は藩費(長州藩のお金)で芸者遊びをしまくったとも言われています。高杉とおうのも最初は客と芸者という関係でしたが、しばらくすると二人は一緒に生活をはじめます。
高杉は若くして死んでしまうのですが、おうのは高杉の最期を見届けられなかったようです。さすがに最期は高杉の正妻が看取ったとされています。正妻と愛人による女の戦いが、そこにはあったのでしょうね。
高杉の死後、おうのは尼さんになり、高杉のお墓を守り続けることに。おうののお墓は高杉のお墓のすぐ近くに建っていて、実際にそこに行ってみると、高杉のことを今でもおうのが支えているんだなぁと思えてなりません。
高杉と同じ長州藩士の桂小五郎も、芸者さんを愛した男でした。その芸者さんの名前は“幾松”。二人は京都で出会いました。しかし桂は禁門の変の後、潜伏生活に入ります。身の危険を感じ、京都から逃げたのです。愛する幾松にも潜伏先を教えることなく、幾松の前から消えてしまいます。
ですが、長州藩の連中は、強烈なリーダーシップを持つ桂が戻ってきてくれることを望みます。そんな時、「桂が出石(今の兵庫県)で潜伏している」という情報がもたらされます。その時、桂を出石まで探しに行ったのが幾松でした。険しい山道を超え、出石に向かう幾松。すごい行動力です。そして桂を探し出し「長州藩にはあなたの力が必要です」と説得し、桂を連れ出すのです。この幾松のファインプレーがなければ、その後の桂の活躍はなかったかもしれません。
明治維新後に、桂小五郎と幾松は結婚します。幾松は正妻となったのです。京都・霊山にはすごく大きな桂小五郎(木戸孝允)のお墓が建っています。で、隣に目をやると「松子の墓」と刻まれたお墓が。今も二人は同じ場所で眠っているのです。
ジャンル | 歴史 |
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掲載日時 | 2020/3/31 16:00 |
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