なぜ新選組は仲間も殺すのか?
幕末期に、京の街の治安維持のために組織された「新選組」。この組織には厳しい隊規があり、一般的にはその隊規は「局中法度」と呼ばれてます(でもこれは後に作られた造語です)。
①士道に背いちゃダメ
②隊を脱走しちゃダメ
③勝手に金策しちゃダメ
④勝手に訴訟を取り扱っちゃダメ
⑤私闘はダメ
という内容です。
①はわかりやすいですよね。新選組は「武士道」にこだわりました。そもそもが局長の近藤勇は「武士になりたい!」という思いを強く持った男でした。幕府に忠誠を尽くすことで、武士になれるんだと考えてました。
隊士の中には、新選組である立場を利用して人の金を奪ったり、押し借りなんかも横行してました。芹沢鴨がよくやってた手口です。そんな行為を禁じたのが③ですよね。④は「勝手に訴訟をするな!」という内容で、⑤は「仲間内で喧嘩すんなよ!」ということです。
でも局中法度の中でいちばん注目されるのは、やっぱり②の「脱走禁止」の条文です。
実際に新選組は、脱走しちゃう連中がかなりいたようです。特に池田屋事件のあとは急激に隊士の数が減ってしまい、近藤がわざわざ江戸まで戻って、隊士のスカウトにやって来たぐらいです。その際に追加メンバーとして新選組に入ってきたのが、あの伊東甲子太郎です。
さて。
山南敬助という隊士がいました。彼は近藤、土方らとは「試衛館」時代からの仲間です。つまり初期メンバーのひとりです。彼は沖田総司と仲が良かったといわれています。初期メンバーではあるのですが、伊東甲子太郎の入隊後に、山南の立場は微妙に変化してしまいます。
山南は初期メンバーの中では“頭脳派”としての立場がありました。新選組のメンバーは決して学があるメンバーが集まってるわけではないので、近藤は山南のことを頼っていたと思われます。でも近藤が新たに伊東甲子太郎をスカウトしてきます。伊東甲子太郎は頭がキレる秀才でした。近藤は彼をそれなりの地位に据え、参謀として活用します。
面白くないのは山南です。「もう俺はこの隊の中では居場所がないのではないか…」。そう思ったのかもしれません。山南は隊からの脱走を図ったのです。しかしこれは法度を犯す行為です。近藤は私情を挟みませんでした。よりにもよって、山南といちばん仲の良かった沖田総司に「山南を捕まえてこい!」と命令します。沖田は悩みます。捕まえてくるということは、山南は連れ戻された後、切腹させられるということだからです。でも近藤の命令に背けない沖田。彼は山南を追いかけます。そして大津で山南を捕まえます。
何度も言いますが、山南は試衛館時代からの仲間で、はるばる京都まで一緒にやってきた同志です。でも近藤は切腹を命じたのです。私情よりも局中法度を優先したということです。山南は切腹の際「介錯は総司にお願いしたい」と希望したようです。山南の親友・沖田総司が、山南の首を斬ったのです。
近藤は、いろんな出自のメンバーの寄せ集め集団でもある新選組の結束を保つためには、「局中法度」にすがるしかなかったのかもしれませんね。
ジャンル | 歴史 |
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掲載日時 | 2020/8/23 16:00 |
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