価値は敷地分の金貨、この寺院はどこ?
日本各地に数多くの寺院があるわけだが、中には法隆寺のように世界遺産となっているものもある。
無住の寺院の買取りというのは現代でもあるそうだが、仮に石油王になって数兆円を手に世界遺産クラスの有名寺院を買い取らせてくれといっても間違いなく門前払いだろう。逆にそのようなものを取引できても困りものだ。
しかし、かつてはタイトルのように「敷地に金貨を敷き詰めたなら売却する」と提示し、実際にそれを実行に移した例がある。
舞台はまだ釈尊がこの世にいた頃のインドで、スダッタ(須達長者)という富豪がいた。スダッタはこの手の話にありがちな卑劣で吝嗇家な金持ちではなく、孤独な貧者に食物を与える優しい心の持ち主で、アナータピンダダ“Anāthapiṇḍada(給孤独)”とも呼ばれた善人だ。
あるとき釈尊の説法を聞いたスダッタはこの上なく感動し、自身の住む舎衛国(現在のウッタルプラデーシュ州サヘート・マヘート)でも説法をしてもらうため、僧院(当時の僧院は現在の寺院というより、修行の場としての意味合いを持つもの)を作ろうとした。
その場所を選定している中で、非常に良い場所を発見した。しかし、そこはギダ太子(祇陀太子、サンスクリット語では“Jeta”)の所有する竹林であり、さすがに一国の太子の所有地をそう簡単に入手することはできない。
スダッタは土地を譲ってくれるよう粘り強く交渉し、最初は相手にしていなかった太子も次第に参ってきて「欲しい分の土地に金貨を敷き詰めたら、その分だけ譲る」と法外な金額を提示して諦めさせようとした。
だが、スダッタは手持ちの金貨だけでなく、家財道具まで処分して本当に金貨を敷き詰め始めた。驚いた太子はなぜそこまでするのかスダッタに問い、彼から釈尊の教えを伝聞したことで同様にいたく感激し、門を除いた竹林を譲り渡した。なぜ門を除いたかというと、最後に太子が直々に釈尊へ寄進するためだった。
そして、この地は祇陀太子と給孤独の名をとり「祇樹給孤独園(ぎじゅきっこどくおん)」とされ、出来上がった僧院は「祇樹給孤独園精舎(ぎじゅきっこどくおんしょうじゃ)」と名付けられ、教団の一大拠点となった。実際に、この地で説いたとされる経典も残されている。
この祇樹給孤独園精舎はおそらく日本人なら誰でも知っている。これの略称が、『平家物語』の冒頭で登場する「祇園精舎」なのだ。
このように源平合戦の時代から日本人には知られていた僧院だが、実はその場所はわかっていなかったようだ。江戸時代に祇園精舎の視察として向かった先はアンコールワットだったので、そちらが祇園精舎と認識されていたとも考えられる。
また、「祇園精舎の鐘の声」とあるが、日本人が除夜の鐘でイメージするような大型の鐘は2004年に寄贈するまでなかったということだ。一応、日本の寺院の本堂内にあるような小型のやや甲高い音がするものなら存在していたようで、その音も聞こえた可能性はある。ただ、その場合は「諸行無常の響き」という印象とは違う気もするが。
なお、この祇園精舎の守護神は牛頭天王とされ、悪疫などを防ぐとされる。この牛頭天王はスサノオノミコトと同一とされ、「祇園さん」こと八坂神社でも祀られている。
ちなみに、現代においてインドには仏教徒はほとんど存在しないというのは有名な話だ。仏教の衰退は4世紀頃には既に見られたようで、それには主要な信者層の商工業者の没落、外的要因など様々なものがあるようだが、スダッタの心を打ったような教えや、そうした人の支持を失わない姿勢は現代の僧にも受け継がれるべきものだろう。
ジャンル | 地理 |
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掲載日時 | 2020/7/1 16:00 |
学習院大学文学部史学科卒
大正大学大学院仏教学研究科浄土学専攻修士課程修了
高校・大学は剣道部、前職は中学・高校の社会科教員。クイズ作家としてはクイズ研究会やサークル所属経験のない異色の経歴。クイズ番組は好きだったが、プレイヤーとしての経験はアーケードゲームのみ。
僧侶としても、仏教系大学に大学院のみ在籍という極少数派。
有限会社セブンワンダーズ入社後は僧侶とクイズ作家の兼業で活動。法話にもクイズ作成で得た知識や要素を取り入れ、独自性のあるものを展開しているほか、寺院での「仏教クイズ」も企画している。
好きなジャンルは仏教、世界史、サッカー。
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