ガレ、ラッセル、アダムズなどの環がある惑星は?
今日は5人の天文学者について解説をしよう。
聞いたことがない方々も、雑学がまた一つ増えるということで最後まで見ていただきたい。
一人目はドイツ出身のヨハン・ゴットフリート・ガレ。
1846年に当時学生だったハインリヒ・ルイス・ダレスト(のちにドイツのライプツィヒ大学で天文学の教授をつとめる)とともにベルリン天文台で太陽系の新しい惑星を観測し、初めて発見したことで有名となった。
クイズ好きな方や天文学に詳しい方なら、ここでタイトルの正解が分かるかもしれない。
二人目はユルバン・ジャン・ジョセフ・ルヴェリエ。フランス出身で数学者でもある。
ルヴェリエは当時太陽系の惑星の中で一番太陽から離れている惑星の軌道が計算しているものと時々ズレていることに疑惑を抱き、新しい惑星があるのではないかと予測をしたのである。前述のガレとも交流があり、彼に提案したこともあって新惑星の発見に貢献している。
次にあげるのはウィリアム・ラッセルで、イギリスのボルトン出身である。
彼はガレが新惑星を発見した17日後にその惑星の最大の衛星を発見しており、以降も土星の衛星ヒュペリオンや天王星の衛星であるアリエルとウンベリエルを見つけている。
ちなみに彼はもともと商人出身でビール醸造で財を築いたのだが、天文学に興味を持った彼は私設で天文台を築き上げた。のちにその行為が衛星発見に貢献していったことは言うまでもない。
四人目はドミニク・フランソワ・ジャン・アラゴ。フランス出身の彼は数学者だけでなく物理学者・政治家としての顔もあるのだ。1803年にパリの理工科大学校であるエコール・ポリテクニクに入学し、2年後にはスペインに測量員として派遣された。その後パリに戻ってきてエコール・ポリテクニクの教授となり、1813年から33年間パリ天文台で天文学について教鞭をとるようになった。二人目として紹介したルヴェリエはアラゴの推薦でパリ天文台の台員として職につき、水星の運動の計算や前述した惑星の軌道のズレなどを発見している。アラゴがいなければ新惑星の発見が遅れていた可能性はあっただろう。
最後に紹介するのはジョン・クーチ・アダムズ、イギリス出身でルヴェリエと同じく数理に秀でていた。彼は24歳の時、ケンブリッジ大学在学中に天王星の軌道がケプラーの法則と外れていることから未知の惑星によるものと推察し発表したが、当時の学会などからは無視されてしまった。のちにガレが発見したことでその先見性が認められることになり、イギリス王立協会から最高賞を受賞してからは天文学の権威として出世していくのだった。
以上の5名が太陽系第8番惑星である海王星の発見に大きく貢献した。その功績を称えて海王星の5つの環に彼らの名前がつけられているのだ。内側から外側への順番は紹介した通りになっている。歴史を含めて話せば雑談のタネになるかも!?
ジャンル | 科学 |
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掲載日時 | 2021/11/24 16:00 |
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