江戸城に天文台を作った徳川将軍は?
現在は皇居となっている江戸城。
江戸城は1457年に武将・太田道灌(おおたどうかん)が築城し、北条氏、徳川氏の居城として長年存在していた。その後江戸から明治に時代が変わるにあたり、都を京都から江戸(東京)に移す際にその居城を江戸城にしたのである。
ところで江戸時代の江戸城にかつて天文台があったことをご存知だろうか。
その天文台は徳川家康が江戸幕府を始めた当初からあったわけではなく、18世紀半ばに建てられたとのこと。
天文台だけでなく日本初の天体望遠鏡も作られており、それは天文学に非常に興味を抱いていた徳川将軍が命じて作られたのだ。
その将軍が8代目である徳川吉宗(1684-1751)である。
徳川吉宗といえば、時代劇で俳優の松平健が演じる暴れん坊将軍のイメージが強い。しかし日本史の視点で見ると、彼は当時様々な改革(享保の改革、目安箱の配置など)を行なっている。
また当時は禁書令でキリスト教を中心とする西洋書籍の導入が禁じられていたのを、徳川吉宗は西洋天文学などの導入に力を入れるため禁書の緩和を行なった。そのおかげで国内での観測技術の向上に繋がった。
徳川吉宗は太陽や雨量の測量を行なっており、さらに動物園や薬学にも精通しているなど、「科学者」の一面もあったとされる。「政治家」「天文学者」「科学者」の顔を持つ徳川将軍といえば徳川吉宗といっても過言ではない。
ちなみに江戸城に天文台を作らせた目的はもう一つある。それが暦の改善だ。当時の日本は独自の太陽太陰暦を使用しており、時刻のずれが生じていたのが課題点になっていた。そこで西洋書籍の禁書を緩和し西洋天文学を暦に導入させて、日本国民に正確な時刻を知らせようとしていた意図があった。しかしながら当時の日本天文学の重責や将軍吉宗の死去及び予算がつりあわないなどから実行するには至らなかった。
もし新しい暦ができていたとしたら、もう少し日本は時代を進められていたかもしれない。
ジャンル | 科学 |
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掲載日時 | 2021/4/6 16:00 |
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