よみもの|聞くトリビア(読む編)

『YouTube公開』
大人になっても身長が伸びることがあるのはなぜ?
【朗読】眠りの質が良くなる雑学【聞くトリビア】

『アカデミー賞を逃すと「残念賞」がもらえる?』

『ガンダムが喋ったことがある!?』

 

聞いていれば熟睡間違いなし、1時間の面白雑学動画!

驚きの雑学の数々を、フリーアナウンサー大橋俊夫氏の朗読とともにお楽しみください。


こちらは動画の内容の書き起こし記事です。

音声と一緒にお楽しみください。

バドミントンのスマッシュのスピードの最速記録は、リニアモーターカーなみ

最近では日本選手もオリンピックで活躍し、ますます注目を集めているバドミントン。試合を間近で見たことがある人はわかると思いますが、コートを飛び交う羽根、シャトルのスピードはかなりのものがあります。それもそのはず、シャトルの平均速度は時速300キロ超と、新幹線並みのスピードが出ています。そんな中、2023年に驚くべき記録が出されました。

これは、日本の企業ヨネックスの東京工場内体育館で行われた計測会で記録されたもので、世界のトップレベルで活躍していたインドのサッウィサイラジ・ランキレッディ選手を招き、彼のスマッシュを超高速度カメラで撮影し、そこから導き出す形でシャトルの速度を測りました。その結果、なんと時速565キロというとんでもない記録が叩き出されました。リニアモーターカーの最高時速が600キロほどなので、これに近いスピードが出たことになります。

また、同日にはマレーシアの女子選手タン・パーリーも記録を計測し、565キロには届きませんでしたが、それでも438キロという女子の最速記録を出しました。

バドミントンの選手はこのスピードの羽根を打ち返しているわけです。彼らの動体視力はとんでもないものなのかもしれません。

こいのぼりがカラフルなのは、東京オリンピックのおかげ

こどもの日が近づくと、都市部ではまれですが、大空をバックにカラフルなこいのぼりが空を泳ぐ風景がおなじみです。しかし、昔のこいのぼりは今のようにカラフルなものではありませんでした。実は、こいのぼりの色が変わるきっかけとなったのは、1964年の東京オリンピックでした。

こいのぼりは江戸時代からすでにありましたが、当時は大きな黒いマゴイ一色のみで、明治、大正に入っても、黒いマゴイと赤いヒゴイが一対で掲げられている程度の非常に地味なものでした。それが1964年の東京オリンピックのときに、あるこいのぼりの製作会社の職人が五輪マークの旗を見て、「青や緑のこいのぼりがあってもいいじゃないか」と考えたことから、現在のようなカラフルなこいのぼりが誕生したそうです。

当初、「自然には存在しない色のこいのぼりなんて売れるはずがない」と他の会社や職人から不評を買いましたが、ふたを開けてみると、色ごとにお父さん、お母さん、お兄ちゃん、弟と家族に見立てられることからたちまち大ヒット。結果として、他の会社も追随する形で販売するようになり、カラフルなこいのぼりは世間に浸透するようになりました。

フィギュアスケートは、かつて夏のオリンピックの正式種目だった

冬季オリンピックの花形競技のひとつ、フィギュアスケート。オリンピックで最初に行われたのは今から100年以上前の1908年のロンドン大会でした。驚くべきことは、このロンドン大会が冬ではなく、夏の大会だったことです。

当時、ロンドンにヨーロッパで初めてとなる人工スケートリンクが完成し、季節に関係なくいつでもスケートを楽しめるようになりました。オリンピック大会の組織委員会は、このリンクを活用できないかということで、当時人気が高まっていたフィギュアスケートをオリンピックの正式競技に加えることにしました。

行われたのは、男女シングル、ペア、そして氷の上でいかにうまく図形を描けるかを競う男子スペシャルフィギュアの4種目でした。この大会をきっかけにフィギュアスケートに興味を持つ人が増え、それ以降のオリンピックでもしばらく正式競技として行われるようになりました。そして1924年、フィギュア人気から、ウィンタースポーツをひとつにまとめて大会にしようという機運が生まれ、第1回の冬のオリンピックが開催されることになったのでした。

伊藤博文が初代総理大臣になったのは、英語力を買われたから

1885年、日本初となる総理大臣に伊藤博文が就任しました。当時の年齢、44歳3ヵ月は、歴代総理大臣の中での最年少記録を今でも維持しています。では、なぜ彼が総理大臣に選ばれたのか。実は他の誰よりも英語力が長けていたことが大きな理由だったとされています。

長州藩の下級武士として育った伊藤博文は、吉田松陰が主宰した松下村塾で学び、頭角を現していきました。後に彼はロンドンに留学し、その道中でもさまざまな国に寄港して多くのことを学びました。その際、日本は文化面や軍事面で諸外国と大きく差があることを痛感し、このままではいけないと考え、海外の書物を読み解き学ぶために、語学の勉強に励みました。やがて伊藤は、アメリカ人と対等に話せるほどの英語力を身に着けるに至ったそうです。

1885年、新しく日本に内閣制度を導入する際、トップたる総理大臣は海外との交渉能力に秀でた人間が就任すべきであるとの意見が出され、海外の首脳とも英語で話し合えるであろう伊藤が選ばれたというわけです。

もし伊藤博文ではなく、英語ができない総理大臣が就いていたら、日本という国は現在のような姿ではなかったかもしれません。

世界初の商品券は、銀でできていた

お金の代わりとして使われる商品券。百貨店やクレジット会社など、さまざまな企業が流通させていますが、そんな商品券を世界で最初に発行したのは日本でした。江戸時代末期、現在も経営を続ける、削り節でおなじみの企業「にんべん」が、世界初の商品券を生み出しました。

通常、商品券といえば紙でできたものを想像されると思いますが、この世界初の商品券は、なんと銀の薄い板で作られています。表には商品券の金額、裏には「にんべん」の刻印がされており、その金額分だけ「にんべん」で買い物できるようになっていたそうです。

この商品券、銀で作られたため、当然、銀としての価値も認められていました。当時の銀は金と比べて高額で取引されていたことから、そのまま持っているだけでも資産となっていました。

しかし、製造には手間と時間がかかり、原価も高かったため、コスト的には赤字になったようです。その対策として開発されたのが、現在使われているような紙の商品券です。紙に切り替えたことで商品券は江戸で大量に普及し、多くの人が利用するようになりました。

インドでIT企業が盛んになったのは、カースト制度があったから

現在、IT大国としてその名が知られているインド。少し前まではそのようなイメージがまったくなく、コンピュータ関連の産業が発達するとは予想されていませんでした。ではなぜ、急激にインドでIT産業が盛んになったのでしょうか。それにはインドの歴史や文化が大きく関わっているようです。

というのも、インドには古くから厳格なカースト制度が存在し、それぞれの身分で就ける職業が決まっており、別の身分の職業に就くことは不可能でした。そこに海外からIT産業が入り込んできました。IT産業には階級が存在せず、どんな人でも平等に仕事に就くことができ、さらに努力次第で出世も可能です。そのため、一攫千金を夢見てIT業界を目指す若者が増えたことが、インドのIT産業発展につながったとみられています。

また、インドは人口が多く、受験や就職に関する競争が非常に激しい国です。大手IT企業に就職するためにはかなりの努力が必要であり、学生はもちろん、社会人も暇さえあれば勉強し、自身のスキルを磨き続けています。そのため全体がレベルアップしたというのも、発展の大きな理由のひとつのようです。

黄身が2つ入った卵は、若い鶏が産んだもの

生卵を割ったとき、たまに黄身が2つ入っていることがあります。この卵は、ひとつの養鶏場で生産される卵のうち、ほんの1パーセントしか存在しない非常に貴重なもので、見つけた人は本当にラッキーです。意外に多いような気もしますが、スーパーなどで売られているものは品質検査の過程ではじかれることが多いのだそうです。では、なぜこのような卵が産まれてくるのかというと、実は親鶏の年齢が関係しています。

というのも、このような黄身が2つ入った卵を産むのは若い鶏だけです。若い鶏は卵を産むにあたり、まだ体のリズムが整っていません。そのため、安定して卵を作ることができず、ひとつの卵に黄身が2つ入ってしまうようなことが起こるのです。このような不安定な状態の卵を食べて良いのかと思われるかもしれませんが、単なる生理現象のひとつにすぎないので、食べても問題ありません。

ちなみに、このような卵は通常より見た目が大きく、少し細長く見えるものが多く、側面に微妙なくびれがあった場合、ほぼ間違いなく黄身が2つ入っているそうです。

カバヤ食品は、過去に実際にカバを飼っていた

ロングセラーとなっている「ジューC」や「さくさくパンダ」などのお菓子で知られるカバヤ食品。創業は1964年で、「カバヤ食品」という名前は、動物のカバに平和を愛するイメージがあったことと、カバの口が大きいため、美味しい食べ物がたくさん食べられる時代になるように、という意味を込めてつけられたそうです。そんなカバヤ食品ですが、かつて本物のカバを購入して会社で飼っていたという記録が残っています。

1953年、カバヤ食品は当時の主力商品だったキャラメルの宣伝の一環として、ドイツから1頭の子どものカバを購入しました。その子には「カバ子」と名付け、水槽付きのトラックに乗せて西日本を中心に全国を巡ったそうです。当時、本物のカバは珍しかったため、多くの子どもがカバを一目見ようと集まり、よい宣伝になっていました。

多くの子どもに愛されたカバ子ですが、宣伝活動を終えると岡山や石川の動物園に引き取られ、「デカ」と名前を変えて過ごしました。そして2010年、推定年齢58歳でその生涯を終えました。ちなみにこの年齢は、日本で飼育されたカバの中でもっとも長寿だったそうです。

アメリカ大統領リンカーンは、最強のレスラーだった

アメリカ第16代大統領エイブラハム・リンカーン。奴隷解放宣言などの輝かしい業績を残し、現在でも人気の高い大統領の一人として知られています。そんな彼には、実はプロレスラーとして活躍していたという一面があります。

リンカーンは193センチの身長と、幼少の頃から肉体労働で鍛えられた筋肉質の体を活かし、レスリングの世界で活躍、21歳のときにはイリノイ州の郡チャンピオンにも輝いたそうです。その戦歴はなんと300戦で1敗しか喫しなかったとも言われています。

ただし、リンカーンが戦ったのは、現在のプロレスではなく、どちらかというとアマチュアレスリングに近いものでした。ただ、賞金がかけられていた試合で稼いでいたこともあって、プロレスラーとして認定されているようです。また、このような業績をたたえて、アメリカのナショナル・レスリング殿堂はリンカーンに特別賞を贈っています。

実は、リンカーン以外にもレスリングを得意とした大統領はいるようで、初代ワシントンはバージニア州の王者に輝いたこともあり、また、セオドア・ルーズベルトはレスラーやボクサーなどとスパーリングをしていた経験もあるそうです。これほどの屈強な体でないと、アメリカ大統領としてやっていけなかったのかもしれません。

映画『2001年宇宙の旅』の制作スタッフに、手塚治虫がスカウトされていた

漫画の神様、手塚治虫。彼の才能は日本のみならず、世界にも轟いていたようで、映画監督スタンリー・キューブリックは名作映画『2001年宇宙の旅』の制作にあたり、手塚治虫をスカウトしたというエピソードが残されています。

これは手塚治虫がエッセイの中で語ったもので、『鉄腕アトム』が放送されている中、手塚にある手紙が届きました。それはキューブリックが新しくつくるSF映画の美術デザインを依頼したい、というものでした。しかし、その時はまだ映画の内容についてはほとんど決まっておらず、タイトルすらもありませんでした。そんな状態で2年間、手塚にロンドンに滞在してもらい、働いて欲しいという依頼であったため、『鉄腕アトム』の制作で忙しいときに長い間日本を離れることができないという理由から、手塚はこの話を断ることに。

結局、この映画は手塚がいない中で制作され、『2001年宇宙の旅』というタイトルで世界で公開されました。ただ、手塚はこの作品を非常に高く評価し、後の手塚作品ではその影響が色濃く現れていたそうです。

映画『ゴジラ』の第1作目で、テーマ音楽のバイオリンを演奏していたのは、黒柳徹子の父

映画「ゴジラ」シリーズで、ゴジラが登場するときに必ず流れる、伊福部昭作曲のあのBGM。映画でなくともあの曲が流れてきたら、テンションが上がる人もいるのではないでしょうか?実はあの曲を演奏しているメンバーの一人に、『徹子の部屋』でおなじみの黒柳徹子の父親がいました。

黒柳徹子の父は、黒柳守綱というバイオリニストで、NHK交響楽団でコンサートマスターを務めるほどの人物でした。1954年公開の映画『ゴジラ』内のテーマ曲を収録するにあたり、伊福部がどうしてもバイオリンの良い音が欲しかったため、頼み込んで演奏に加わってもらったそうです。

ちなみに黒柳守綱は、現在は定番となっている年末のコンサートでベートーベンの『第九』を演奏することを最初に提案した人物でもあります。

ジブリ映画『紅の豚』はもともと、飛行機の中で見るために作られた作品

宮崎駿監督のジブリ映画『紅の豚』。1992年に公開され、「飛ばねえ豚はただの豚だ」などの名セリフも話題を呼び、多くの人に愛されています。実はこの映画、もともとはJAL(日本航空)の機内で上映されるために作られた作品でした。

『紅の豚』は、『魔女の宅急便』を作り終えたばかりの宮崎駿が、気楽に作りたいということで企画された作品で、当初予定されていた上映時間は45分と短めでした。企画書にも「日本航空の国際線に乗らないと見ることができない」「本邦初の機内初公開作品の誕生」などと書かれており、劇場公開される予定はありませんでした。ところが、色々と設定を盛り込んでいるうちに時間も倍以上の93分となり、制作費も思ったよりかかったため、その回収のために劇場で公開せざるを得なくなりました。

ただ、全国公開に先立つ17日前から2カ月間、JALの国際線で先行上映されています。飛行機による戦闘が描かれ、墜落シーンがあるにもかかわらず、非常に好評だったようです。

カタツムリは、コンクリートを食べている

よく雨の日にコンクリートの壁に這っている姿を見かけるカタツムリ。よくよく考えてみると、なぜいつもコンクリートの上にいるのでしょうか。実はカタツムリはコンクリートを食べているからです。

正しく表現すると、濡れたコンクリートからしみ出たカルシウムを舐め取っています。カタツムリには外敵や乾燥から身を守る殻がありますが、これを成長させるには炭酸カルシウムが必要となるため、コンクリートを舐めて養分にしているというわけです。

カタツムリには口がないように見えますが、数万個の小さな歯が生えている舌を持っていて、この表面がザラザラしているため、コンクリートの表面を削り取ることができます。

ちなみにカタツムリはコンクリート以外にも貝殻や死んだ他のカタツムリの殻からも同じようにカルシウムを摂っているそうです。これらに体をくっつけているときは食事中ということで、そっとしておいたほうが良いでしょう。

たい焼きは当初、亀の形をしていた

縁起物である魚、鯛の形をかたどって作られた日本を代表するスイーツのひとつ、たい焼き。誕生したのは明治時代といわれています。初めて売り出したのは東京の浪花屋総本店というお店でしたが、当初は鯛の形をしていませんでした。

もともと、この店では今川焼きを売っていましたが、あまり売れなかったため、何か変わったことをしようということで、今川焼きを亀の子どもの形に模した「亀の子焼き」というものを販売しました。しかし、これもヒットにつながりません。試行錯誤を重ねた結果、おめでたい鯛の形にして売ってみようということで販売してみると、今まで売れなかったのがウソみたいに大ヒット。店を代表する商品になったそうです。

どうやら、鯛は縁起物である他、当時も高級魚として一般の人はなかなか口にすることができなかったため、それがお菓子とはいえ、手軽に食べられるということで人気になったのではないかといわれています。

ちなみに、現在でも都内で数件、亀の子焼きが販売されている店があるそうです。機会があれば探してみてはいかがでしょうか。

コンニャクの黒いつぶつぶの正体は、海藻

おでんの定番の具材のひとつ、こんにゃく。その中にある黒いつぶつぶが何か気になる人もいるのではないでしょうか?実はあの正体は海藻の粉末です。

もともとこんにゃくは、こんにゃくの生芋から直接作られていました。その際に木や草の灰を凝固剤として入れるために黒っぽくなり、さらに、作る際に入った芋の皮が黒いつぶつぶとして残ったりしました。しかし、現在は一度こんにゃく芋を粉にしたこんにゃく粉をもとに作っており、この粉が白いため、できたこんにゃくは白くなります。

白いこんにゃくは東日本では受け入れられたものの、西日本は昔から黒い生芋のこんにゃくが食べられていたため、白いこんにゃくは人気がありませんでした。そこで、西日本でもヒットするように、製造過程で色付け用の海藻の粉を入れることで黒くしました。その海藻の粉はどうしても溶け切らず残ってしまうため、現在でも黒いつぶつぶが残ってしまうというわけです。

世界初のテレビゲーム機は、ファミコンの10年以上前に発売されていた

1983年に発売された任天堂の家庭用ゲーム機、ファミリーコンピュータ。家でさまざまなゲームができるということで多くの人を虜にし、日本のみならず世界的にブームを巻き起こしました。しかし、このファミコン発売の10年以上前である1972年、すでに世界初の家庭用ゲーム機が誕生していたのです。

その名は「オデッセイ」、アメリカのマグナボックス社が発売したゲーム機で、ファミコンと同じようにソフトを交換する形で違うゲームを楽しめるというスタイルが話題となりました。価格は100ドル。安いと思うかもしれませんが、現在の価値でいうとおよそ670ドル、日本円で10万円以上ほど。ファミコンの価格が1万4800円だったことを考えると、相当強気だったことがうかがえます。

しかし、それでもオデッセイは大ヒットし、生産停止となる1975年までにおよそ35万台を売り上げたそうです。また、オデッセイは多くの人に衝撃を与え、アメリカのゲーム会社アタリの創業者ノーラン・ブッシュネルはここからインスピレーションを受け、後のヒット作となるゲーム『ポン』を生み出します。

残念ながら、このオデッセイは日本では発売されませんでした。もし発売されていたら、日本のゲーム史も変わっていたかもしれません。

アニメ『機動戦士ガンダム』のガンダムは、しゃべったことがある

現在も根強い人気があるアニメ「機動戦士ガンダム」シリーズ。その魅力のひとつに、作品内に登場する人型兵器「モビルスーツ」のかっこよさがあるかもしれません。無機質でスタイリッシュな質感は多くの人を魅了し、プラモデルもヒットしました。中でもメインを張るガンダムは絶大な人気を誇りました。しかし、そんなガンダムが初期の作品でしゃべったことがあることを知る人は少ないのではないでしょうか。

それは初代『機動戦士ガンダム』の第18話「灼熱のアッザム・リーダー」の回で、ガンダムが敵に捕らわれ、4000度の高温攻撃を受けたときのことです。突然、コックピット内に「パイロットおよび回路保護のため、全エネルギーの98パーセントを放出中」や「攻撃エネルギー低下」という声が聞こえます。ガンダムが自身の状況を知らせるためにしゃべっているのです。その後、なんとかピンチをしのぎ、危機を脱することはできました。ガンダムには口こそついていませんが、それまで一度も音を発したことがないガンダムがいきなりしゃべったことで、多くの視聴者が驚いたそうです。

ちなみに、それ以降ガンダムがピンチに陥るシーンは何度もありましたが、しゃべったのはその一回きりだったそうです。

ご飯をミネラルウォーターで研ぐと、美味しくなる

米を炊くときに使う水についてあまり考えたことがない人も多いでしょう。しかし、それはもったいない話で、実は、水が水道水かミネラルウォーターかによってご飯の味が変わってくるそうです。

というのも、米を炊くときの水は、米ににおいがうつらないように無味無臭のものが良いとされています。水道水は塩素で消毒されているため、そのにおいがどうしても残ってしまいます。一方、ミネラルウォーターは塩素で消毒されていないため、においが米に移ることはありません。そのため、ミネラルウォーターで米を炊くとご飯が美味しくなるというわけです。また、家に浄水器がある人は、それを使って炊いても良いそうです。

ただし、ミネラルウォーターを使う際にはひとつ注意する点があります。それはその水が硬水か軟水かということです。ミネラルウォーターにはミネラルが多く含まれた硬水のものがあり、これで米を炊くとご飯がパサパサになって美味しくなくなります。美味しいご飯を炊きたいのであれば、硬度60以下の軟水を選ぶことが重要です。

野球拳の日本一を決定する大会がある

野球拳といえば、歌に合わせてじゃんけんをして、負けると服を脱ぐというお色気チックな遊びというイメージが強いかもしれません。そんな野球拳の全国大会があると聞くと、多くの人は驚くのではないでしょうか?

この全国大会は愛媛県松山市の「松山春まつり」の中で行われるもので、3人1組のチームによるトーナメント形式で、一方の選手がすべて敗れた時点でその試合は終了となります。では、負けた選手は服を脱ぐのかといえば、実はそうではなく、あくまで野球拳のリズムに合わせて踊りながらじゃんけんをするだけです。

もともと野球拳は1924年に伊予鉄道電機の野球チームが懇親会で行ったものが最初とされ、これが広まって日本中で知られるようになったそうです。この当時も公式には服を脱ぐルールは存在していませんが、広まっていくうちに罰ゲームとして服を脱ぐといった独自ルールを導入するところもあったそうです。また、1960年代に、あるテレビ番組で、野球拳をして負けた人が服を脱いでいく様子が放送されていたため、そのイメージも後押しすることに。

本来の野球拳は健全なものであるということを、これをきっかけに覚えておいた方が良いでしょう。

大人でも、1日で2センチ身長が伸び縮みする

身長は10代の成長期の間に伸び、20歳以上になるとほとんど伸びなくなる、という話をよく耳にします。しかし、実際には大人になっても身長は変化するそうで、人によっては1日で2センチぐらい伸び縮みすることもあるそうです。

なぜ、そのようなことが起こるかというと、理由は背骨にあります。背骨は椎骨という24個の骨が積み重なってできており、これらの間には椎間板という背骨にかかる重さを支えるクッションのような組織が存在します。この椎間板の中にある成分は夜、寝ているときに水分を吸ってゆっくり膨らみます。そうなると椎間板の厚みが増して大きくなり、朝起きたときに身長の高さとして現れるというわけです。たとえば、ひとつの椎間板が1ミリほど膨らむと、全体で2センチ以上も伸びることになります。逆に1日中起きて過ごしていると圧力がかかっていき、じわじわと水分を放出してしぼんでいくため、身長も縮んでいくそうです。

ただ、椎間板の弾力は年齢とともに落ちていくため、歳を取れば取るほど身長の伸び縮みは少なくなっていきます。

暗闇で光るカメレオンがいる

2018年、ドイツのある研究チームがマダガスカルに生息するカメレオンに対し、ある実験を行いました。それはカメレオンに紫外線を当ててみるというもので、実際に試してみたところ、あるカメレオンの骨格が明るい青色の光を発していることと、その光が皮膚を通り抜けて外に出ていることが判明しました。

これはカメレオンの顔面にある円形の小さな突起から紫外線を受け入れ、骨に到達して吸収することで、青色の光を発するという仕組みなのですが、なぜこのように光るのかはまだ明らかになっていないようです。ただ、カメレオンの種によって光るパターンが異なるらしく、カメレオン同士が同じ種であることを識別するのに役立てているのではないかと推測されています。また、紫外線を受け入れる突起の数がメスよりもオスのほうが多いため、繁殖に関わる何かを知らせるのに使うのではないかとも考察されています。

深海生物の多くは暗闇で光る性質を持つことがわかっていますが、陸上の動物で光るものは非常に珍しいそうです。もしかしたら我々が知らないだけで、カメレオン以外にも光る陸上動物がいるのかもしれません。

渋谷のハチ公の銅像の除幕式には、ハチ公も参加していた

JR渋谷駅前の忠犬ハチ公像。その除幕式のときにハチ公自身も参加していたというエピソードがあります。

ハチ公が生まれたのは1923年、東京帝国大学農学部の上野教授に引き取られ、およそ1年もの間、ともに生活していました。上野教授はハチ公を可愛がり、毎日一緒に渋谷駅まで通ったりしていましたが、1925年に上野教授が亡くなってしまいます。しかしその後もハチ公は毎日渋谷駅に訪れ、帰ってこない上野教授を待ち続けていたそうです。この話が新聞に掲載され、ハチ公の存在は全国的に知られるようになり、1934年にその忠実さを称えて銅像が設置されることになりました。

ハチ公はその除幕式にも参列し、元気な姿を見せました。しかし翌年、病気により13歳で亡くなりました。そのお墓は青山墓地、上野教授の墓の隣に設けられ、遺骸は剥製にされて国立科学博物館に保存されています。

実はハチ公像は、太平洋戦争中に一度撤去されたことがあります。戦時中の金属不足により、銅を回収するために取り壊されたのです。現在の像は、戦後の1948年に建てられた2代目です。

キウイフルーツの原作国は、ニュージーランドではない

キウイフルーツの原産国はどこ?と聞かれると、多くの人はニュージーランドと答えるでしょう。しかし、実際はニュージーランドではなく、中国です。

実はキウイフルーツは本来英語では「チャイニーズグーズベリー」といい、古代中国でも食べられていた果物でした。1904年、ニュージーランド人のイザベル・フレーザーという人物が中国を訪れたときに、キウイフルーツの種を持ち帰りました。それをニュージーランドで栽培したところ、気候や風土が合っていたため、次第に多く生産されるようになりました。そして、品種改良を重ねた結果、現在のようにニュージーランド産のキウイフルーツが多く流通するようになったわけです。

ちなみに「キウイフルーツ」という名前は、ニュージーランドに生息する飛べない鳥、キウイの姿に似ているところからつけられたそうです。

スウェーデン軍は長年、ニシンのオナラに悩まされていた

1980年代、スウェーデンの海軍は、領海の水中から聞こえる謎の音や信号に悩まされていたというエピソードがあります。

当時スウェーデンは旧ソ連と対立状態にありました。そのため、スウェーデン海軍は領海を厳戒態勢で警備していました。その最中に謎の音声や信号が聞こえたことで、スウェーデン海軍は核武装した旧ソ連の潜水艦が周辺に侵入しているのではないかと考え、より警戒を強めると同時に、この音の正体を突き詰めようとしました。

一時は戦争の一歩手前にまで至りましたが、調査の結果、これらの音は大量のニシンが原因だと判明しました。ニシンは驚いたときに体内にある浮袋を絞って肛門からオナラのように空気を出す習性があり、この音がまるで信号のように聞こえたことが、スウェーデンの悩みの原因だったわけです。

ちなみに、この事実が判明するまでに10年以上かかったそうです。原因がわかったときのスウェーデン軍は、さぞかしほっとしたのではないでしょうか。

ゴリラが胸を叩くとき、手はパーの形をしている

ゴリラといえば、胸を叩いて威嚇するのが印象的です。これは「ドラミング」と呼ばれ、興奮が高まった時、自分の存在を相手に知らせたい時、緊張を解きほぐしたい時などに行います。実はこのしぐさ、ゴリラは手をグーにして叩いてると思われがちですが、実際には手を開いたパーの状態で叩いています。

なぜパーにしているかというと、そのほうが音がよく響くからです。このドラミングの音は、静かなジャングルだとおよそ2キロほど先でも聞こえるほどの大きさになります。これほどの音を響かせるために、グーよりパーのほうが効果的というわけです。さらに、より効果的に音を出すために、ゴリラは胸にまで達した喉袋を膨らませて叩きます。こうすることで音はより大きくなるとのこと。

ドラミングは大人のオスに限らず、すべてのゴリラが行いますが、メスや子どもは喉袋が発達していないため、大人のオスのように大きな音は出せません。ただ、子どものゴリラは大人の真似をして、遊び感覚でドラミングを行うこともあるそうです。

もっとも陸から離れた海の地点は、ゴミ捨て場になっている

南太平洋のニュージーランドと南米大陸チリの間に存在する「ポイント・ネモ」。この場所はジュール・ベルヌの小説『海底二万マイル』に登場する潜水艦ノーチラス号の船長ネモにちなんで名付けられ、どの島からも2000キロ以上離れた、もっとも陸地から遠い地点として知られています。また、ポイント・ネモは、世界中からある種類のゴミが捨てられている場所としても有名です。

そのゴミとは、使い古された人工衛星です。人工衛星は打ち上げられてしばらくすると劣化するため、新しい衛星に代替わりします。役目を終えた衛星はどうなるかというと、多くは大気圏に突入して燃え尽きますが、一部は燃え尽きずに地球に落下します。その落下地点として選ばれたのが、このポイント・ネモです。ここは陸地から離れていて人が訪れることがないため、安全に落とすことができます。ここに墜落した人工衛星の数は300近くに達するとされ、将来的には国際宇宙ステーションもこの場所を目がけて落下させる計画があります。

ただ、さすがにこれ以上落としてしまうと、環境への影響が懸念されるため、大気圏突入時にすべて燃え尽きるような素材の開発が進められているそうです。

ギリシャではかつて、テレビゲームが法律で禁止されていた

多くの人が楽しむテレビゲーム。もし突然、それを禁止するという法律ができたら、多くの人がショックを受けるのではないでしょうか。実は2002年にギリシャでテレビゲームを禁止する法律が制定され、国内のゲームファンに衝撃を与えたことがありました。

当時ギリシャで流行していた違法スロットマシンによるギャンブルを取り締まるために制定された法律ですが、ギャンブルのみならず、テレビゲームや携帯ゲームなどもすべて違法とし、公共の場だけでなく家庭でのプレイも禁止となりました。

しかし、これはEU圏内の自由流通を定めた法令に違反するということで、EUがギリシャ政府を欧州司法裁判所に提訴しました。その結果、2004年にこの法律は廃止となっています。

わずか2年間ではありましたが、ギリシャのゲーム好きにとっては大変迷惑だったことでしょう。

エジプトのピラミッドは、すべてナイル川より西にある

エジプトといえばピラミッド。エジプトを訪れる観光客のほとんどが見学に向かうと思われます。そんなピラミッドが建つ場所を調べてみると、不思議な共通点が見つかります。それはすべてのピラミッドがナイル川の西側に位置することです。

その理由はまだわかっていませんが、いくつかの説が挙げられています。ひとつは古代エジプト人にとって太陽が沈む西側は死者の国が位置すると考えられていたため、当時のエジプトではすべての物事をナイル川を基準に考えていたことから、その西側にピラミッドを建てたのではないかというものです。

また、ナイル川の東側の土地は川の水面よりも高い位置にあり、船で運んできた重い石材の運搬が難しかったため、低い位置にあった西側に建てたとも考えられています。

ただし、これもあくまで説であり、実際の理由はわかっていません。まだまだ謎が多いピラミッドですが、さらなる調査が期待されています。

蜘蛛の糸で弦を作ったバイオリンがある

2012年、奈良県立医科大学の大崎茂芳教授が、蜘蛛の糸を使ってバイオリンの弦を作ったことで話題となりました。

大崎教授は蜘蛛の糸の研究の第一人者で、その性質を調べ、糸の応用の可能性を探るために様々な研究を重ねていました。そんなある日、大崎教授は車の中で聴いたロシア民謡の弦楽器の音色に感動しました。そこで、蜘蛛の糸を楽器の弦にできるのではないかと考え、バイオリンの弦を開発するに至ったそうです。

しかし、蜘蛛は状況や状態によって性質が異なる糸を出すため、弦に適した糸をそろえるのに大変苦労しました。

そしておよそ3年がかりで糸を集め、バイオリンの弦を完成させました。実際に演奏してその音色を解析したところ、世界最高峰のバイオリンである「ストラディバリウス」と同じレベルの音色を出せることが判明しました。このニュースは海外のメディアでも取り上げられ、ヨーロッパの楽器メーカーからも商品化の要望が寄せられたそうです。

アカデミー賞にノミネートされたのに受賞を逃した人には、残念賞が贈られる

アメリカ映画界の一大イベントであるアカデミー賞。それぞれの受賞者にはオスカー像と呼ばれるトロフィーが贈られ、その功績が讃えられます。しかし、ノミネートされた人にも実は残念賞が贈られることを知る人は少ないのではないでしょうか。

それはロサンゼルスのPR会社、ディスティンクティブ・アセット社が提供している「Everyone Wins Nominee Gift Bag」というもので、直訳すると「候補者の誰もが勝者おみやげバッグ」となります。中にはさまざまな企業やブランドが提供する高額商品や体験ギフトなどが含まれており、その総額は日本円でおよそ1500万円にもなる非常に豪華な内容となっています。

この残念賞は1989年にはじまったもので、もともとは主催者である映画芸術科学アカデミーが提供していました。当時は今ほど豪華な内容ではなく、ちょっとしたプレゼントといった形でしたが、次第に多くの企業やブランドがノミネート者に商品を贈りたいと名乗り出し、現在ではそのPR会社が一括して提供しています。

ちなみに、この会社はアカデミー賞以外にもグラミー賞やトニー賞などでも同様のおみやげバッグを提供しているそうです。

警察官のコスプレをすると、法律違反

ハロウィンの季節になると、街中でコスプレをしている人をよく見かけます。中には看護師など職業に関するコスプレをしている人がいますが、注意しないと捕まってしまうかもしれません。

注意すべきコスプレのひとつに警察官があります。実は、警察官のコスプレをすることは軽犯罪法第1条15号の「資格がないのにかかわらず法令により定められた制服等を用いた者を拘留又は科料に処する」に該当するそうです。もし、実際に捕まってしまうと、1000円以上1万円未満の罰金を科せられるか、最大30日ほど拘留される可能性があります。また、消防士や自衛隊員のコスプレも同様のようです。

ただ、現実的にはすぐに逮捕されることはないそうです。この法律はあくまで詐欺や恐喝の手段として制服が悪用されることを防ぐための法律であるため、実際の警察官から注意を受けたにもかかわらず無視するなど、悪質な場合でない限り逮捕されることはないとのこと。

とはいえ、度を越して問題を引き起こすと、実際に捕まるかもしれないので、注意するに越したことはないでしょう。

右利きより左利きのほうが、平均寿命が短い

1991年、アメリカとカナダの研究グループが驚くべき調査結果を発表し、話題となりました。それは、カリフォルニアで亡くなったおよそ1000人について調べたところ、右利きの人の平均寿命が75歳だったのに対し、左利きの人が66歳と、9歳も寿命が短かったというものです。

なぜこのような結果が出たかというと、世の中のほとんどの製品が右利きが使いやすいように作られているからではないかと考えられています。ハサミや包丁などの日用品、パソコンのキーボード配列、自動改札機など、右利きが使いやすいものを数え上げるとキリがありません。左利きの人は、これらのものを不便に感じながら使わざるを得ないのが実情です。そのため、自然とストレスがたまったり、右利き用のものを無理に使うことでケガや事故を引き起こすことが寿命に影響するのではないかとも考えられています。

しかし、最近の調査ではこの説は誤りではないかと言われています。実際に、最近の調査では左利きと死亡率に関係性がないこともわかっています。また、左利きの人は自然と左手と右手をバランスよく使うため、脳がまんべんなく刺激され、認知症になりにくい可能性もあることがわかっています。左利きだからといって、あまり悲観することもないようです。

江戸時代、京都にも「銀座」があった

銀座といえば東京を代表するショッピング街ですが、実は江戸時代、東京よりも先に京都に「銀座」と呼ばれる地があったことはあまり知られていません。

もともと銀座とは銀貨の鋳造所のことで、1601年に徳川家康は、当時日本最大の城下町として栄えていた京都・伏見に銀座を設置しました。一時は盛んに銀を鋳造していたものの、わずか7年で現在の京都市中京区に移転しました。さらに4年後の1612年、江戸の、現在の銀座がある地に移転しました。東京に銀座が置かれる前に、わずか11年間ですが、京都に銀座があったということです。

これら銀座が置かれていた京都の地にはそれぞれ「銀座跡」の石標が建てられています。また、伏見区の銀座の地には、銀座があったことに由来する「銀座町」という町名が存在します。

ちなみに、これらの銀座は京都や江戸以外にも、静岡の駿河、大坂、長崎にもあったそうですが、明治に入ってから造幣局に吸収されて廃止となっています。

アイスクリームの消費量がもっとも少ない都道府県は、沖縄県

夏の暑い時期になると食べたくなるアイスクリーム。当然、南国・沖縄では多く食べられているのではないかと思いきや、実は日本でもっともアイスクリームの消費量が少ない都道府県は沖縄県だそうです。

なぜアイスクリームがあまり食べられていないかというと、代わりに「ぜんざい」があるからです。ふつう「ぜんざい」と聞くと、餅にあんをかけたものやお汁粉を思い浮かべますが、沖縄で食べられる「ぜんざい」は、かき氷の上に甘く煮詰めた金時豆などを乗せたもので、県民のソウルフードとして人気のスイーツです。この「ぜんざい」の存在がアイスクリームを抑えているというわけです。

また、気温が30度を超えるとアイスクリームよりもかき氷が売れる現象が起こるそうです。夏の最高気温では本州の内陸の都市が話題になりますが、平均気温ではやはり全国一は沖縄県で、「ぜんざい」が県民に愛されているのは、こうした理由もあるのかもしれません。

巨人の手が支えている橋がある

ベトナムの都市、ダナン。その近郊にあるバナ山の山頂には中世ヨーロッパの町並みを再現したテーマパーク「サンワールド・バナヒルズ」がありますが、そこにはわれわれの目を引く、非常にユニークな橋がかかっています。

それは「ゴールデン・ブリッジ」という名前の橋で、通常、橋には支えるための支柱がありますが、この橋ではそれが巨人の手の形をしています。これは山の神様の手をイメージして作られたもので、高さ1000メートル以上の地点にある全長150メートルの橋を持ち上げている巨人の手のビジュアルは、見る人に不思議な感覚を抱かせます。そのことからか、2018年にはイギリスの新聞「タイムズ」紙が選んだ「世界で訪れたい観光地2018」のトップ100のひとつにも選ばれました。

また、ここはウェディングフォトのスポットとしても人気があり、新婚カップルがよく巨人の手をバックに撮影している風景も見られます。ただ、人気スポットであるため、混雑する日も多いそうです。

もし、ベトナムに行くことがあれば、訪れてみてはいかがでしょうか。

エベレストでは、死体が登山道の目印になっている

現在でも多くの登山家にとって憧れとなっているエベレスト。しかし、厳しい天候や危険な登山道の影響で、たくさんの人命が奪われています。しかも、亡くなった登山家の遺体を回収するのは難しく、山中にそのまま残されているケースが多いようです。

その中のひとつである「グリーンブーツ」は、標高およそ8500メートルの岩の割れ目にあります。1996年のエベレスト登頂中に激しい猛吹雪に見舞われ、下山できずに命を落とした男性の遺体で、身につけていた鮮やかな緑色のブーツから名付けられました。彼の遺体は、北側ルートから頂上を目指す登山者が必ず目にする場所にあることから、目印として使われているようです。

エベレスト登山中に亡くなった人はこれまで200人以上いて、ほとんどがそのままになっています。これらの遺体は単に目印としてだけではなく、危険な登山に対する警告や戒めにもなっています。

ミツバチは、紫外線を見ることができる

花粉や花の蜜をエサにして生きているミツバチ。花の受粉や蜂蜜の生産など、私たちの生活に欠かせない生き物となっています。そんなミツバチは、蜜を集めやすくなるように、人間の目とは異なる特殊な目を持っているようです。

ミツバチの目は人間の目と同じように、形や動きを見ることができます。ただし、視力はそれほど良くないらしく、あまり遠くのものは見分けられないそうです。

また、色の見え方については人間とは異なります。ミツバチは波長が長い赤色を見分けることができない代わりに、人間が見ることができない波長の短い紫外線を見ることができます。これによって、人間にはわからない花の模様がはっきりと見え、蜜や花粉の位置が正確にわかるようになっています。

さらに、ミツバチは記憶力や学習能力にも優れており、花の色や形、咲いている場所、咲いている時間帯などをすべて覚えているそうです。ミツバチの目や頭脳は蜜を集めるために特化していることがわかります。

江戸時代にも、100円ショップがあった

全国、どこの街に行っても見かける100円ショップ。どんな商品でも格安で手に入れることができるため、家計の味方として多くの人が利用しています。実はこの100円ショップのルーツは、江戸時代にはすでにあったといわれています。

その店は「十九文屋」という名前で、その名の通り、すべての商品を19文均一で販売していたそうです。19文は現在の価格にするとおよそ380円と、ちょっと高めでした。商品は鏡や筆といった日用品や生活雑貨はもちろん、将棋の駒など趣味や娯楽の道具まで幅広くそろえていました。ただ、現在のようなお店を構えて営業する形ではなく、路上に出店する、いわゆる露天商のスタイルでした。

また、同じように「四文屋」という、すべての商品を4文で販売していた屋台も存在しました。こちらのほうが現在の100円ショップに近いかもしれません。ちなみにこちらでは食べ物も販売されていたため、店先で飲食を楽しんでいた人もいたそうです。

将棋のプロ棋士は、現役を引退していてもプロ棋士を名乗れる

藤井聡太をはじめとする若い棋士の台頭により、将棋の世界が近年ますます注目されています。多くのプロ棋士がタイトルを取ろうとしのぎを削っていますが、加藤一二三さんのように現役引退後、タレントとして活躍する人もいます。そんな彼らがテレビに出演すると、「元プロ棋士」「元棋士」など肩書がテロップに使われることがありますが、これは誤りです。

実は、棋士は一度日本将棋連盟にプロとして在籍していれば、たとえ引退しても正会員である限り、生涯「棋士」や「プロ棋士」という肩書をつけることができます。すなわち「元」がつくのは間違いというわけです。というのも、プロ棋士の引退はあくまで公式戦に出場しなくなるだけであり、依頼があれば執筆や指導対局の仕事もあるからです。本当に「元プロ棋士」という肩書になるのは、日本将棋連盟を脱退したときだけです。

加藤さん以外にも、公式戦には出場していないものの、プロ棋士として活動している人は多くいます。その人たちに失礼のないように、この事実は正しく理解しておいたほうが良いでしょう。

魚肉ソーセージ、ヒットのきっかけは、アメリカの水爆実験

現在もスーパーなどで見かける魚肉ソーセージ。1951年、西南開発株式会社がアジを使って製造したのが最初のものだそうです。その後、この魚肉ソーセージは大ヒットするのですが、そのきっかけとなったのは、1954年のビキニ環礁で行われた水爆実験でした。

というのも、この実験によって被爆したのが遠洋マグロの漁船であったため、「日本に入ってくるマグロが被爆している」という風評被害が起こりました。その結果、マグロが売れなくなり、大量に余るという事態が発生することに。そこで、大手水産会社は余ったマグロをどうにかできないかということで、マグロを使った魚肉ソーセージを販売し、これが大ヒットとなり、家庭に魚肉ソーセージの存在を知らしめました。

1960年代になると、次第にマグロの風評被害もおさまり、余ることもなくなりました。そして、魚肉ソーセージの原料にはマグロではなく、クセがなく加工しやすいタラが使われるようになり、価格も抑えられるようになったこともあいまって、魚肉ソーセージの人気はさらに高まり、現在も販売され続けるロングセラー商品となっています。

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