ライバル関係の雑学
【聞くトリビア 読む編part.12】
阪神電鉄のオレンジ色の車両は、巨人を連想させるから変えてほしいと意見が出されたことがある。
阪急阪神ホールディングスの株主総会でのことです。
阪神電鉄の急行の車両がオレンジ色に塗装されていることについて、「名前も言いたくない『あの球団』の色を変えることはできないか」という意見が出ました。
対する阪神電鉄側の回答は、次のリニューアルのときに社内で議論したい、というものでした。
なお、阪急阪神ホールディングスの株主総会では、タイガースが不振のときに、チームへのクレームが出されることもあるそうです。
マリオのライバル、クッパのモチーフとなったのは、すっぽんである。
『スーパーマリオブラザーズ』などでマリオの天敵として登場するキャラクター、クッパ。
開発当初、実はクッパはカバみたいな姿をしていました。
ところがカメの姿をしたキャラクターの多いクッパ一族。
その一族の長がカバというのはおかしいのではないか、という声があがります。
そこで、カメの中で一番怖いのは何か?と考えたところ、スッポンではないか、という結論に至り、あのような姿になったというわけです。
空海と最澄は、弟子のせいで仲が決裂した。
天台宗の開祖・最澄には泰範(たいはん)というお気に入りの弟子がいました。
あるとき最澄は、泰範を真言宗の空海に弟子入りさせることにしました。
当時の最新の仏教である密教の教えを授けてもらうためです。
しかし、泰範は空海に心酔してしまい、最澄のもとに戻ることはありませんでした。
もともと朝廷の庇護を受けていた天台宗と、在野の仏教を目指す真言宗には方向性の違いがありましたが、この事件をきっかけに最澄と空海の仲は決裂したのです。
きのこの山とたけのこの里には、もう1つライバル商品があった。
よくファンの間でどちらが好きかという論争がおこる明治製菓のお菓子「きのこの山」と「たけのこの里」。
実はこれに次ぐ第三の商品が1987年に発売されていたというのはご存知でしょうか?
その名も「すぎのこ村」というもので、棒状のビスケットにクラッシュしたアーモンドを混ぜたミルクチョコをコーティングしたお菓子で、名前の通り杉の木をイメージしています。
しかし「きのこの山」と「たけのこの里」に比べて人気もあまりでなかったことから残念ながら1990年に発売が終了しました。
きのこ・たけのこ論争。「たけのこの里」のほうが優勢だが、40代以上になると「きのこの山」支持が増える。
明治のお菓子「きのこの山」と「たけのこの里」はともに人気商品ながら、ファン同士のどちらが上かの論争もたびたび起こります。
様々なメディアで調査が行われていますが、基本的にはたけのこ派のほうが多数派になります。
しかし、データを見てみると、40代や50代になると、きのこの山支持が大幅に増え、調査によってはたけのこの里を上回ります。
これにはきのこの山が1975年、たけのこの里が1979年という、発売時期が影響していることが推測されます。
天覧試合で長嶋茂雄にホームランを打たれた村山実は、生涯「あれはファウルだった」と言っていた。
1959年6月25日。後楽園球場で行われたプロ野球の巨人・阪神戦は、当時の昭和天皇・皇后陛下が観戦されるということで注目を浴びていました。
試合は4対4で迎えた、9回裏、ピッチャー村山実、バッター長嶋茂雄。
カウントは2-2。
インハイの直球を長嶋は振りぬくと、打球はレフトスタンドへ。
サヨナラホームランでした。
長嶋はこの一本で国民的ヒーローとなりましたが、納得いかないのは打たれた村山。
彼は生涯、このホームランを認めず、あれはファウルだと真剣に言い続けていたそうです。
オリンピックの銀と銅のメダルを割って半分ずつにしたライバルたちがいる。
1936年のベルリンオリンピックの男子棒高跳びには、西田修平と大江季雄(すえお)という2人の日本人選手が出場していました。
彼らは長年ライバルとして切磋琢磨し、お互いメダル候補として期待もされていました。
結果は西田が銀メダル、大江が銅メダル。
彼らはお互いの功績を称え合い、帰国後にメダルを半分に割り、1つを交換してくっつけたのでした。
このエピソードは「友情のメダル」という話として道徳の教科書にも掲載されました。
明智小五郎のライバル怪人二十面相は、後に四十面相と名乗った。
江戸川乱歩が生み出した怪盗・怪人二十面相。
変装の名人ということで世間からそう呼ばれるようになったこの名前。
当の二十面相本人は納得いってなかったようで、作品の中で「私の顔は20ぐらいでは済まない、少なくともその2倍の顔は持っている」ということで、これからは四十面相と名乗るとわざわざ新聞の広告で発表したのです。
しかし、二十面相という名前があまりにも有名になりすぎたため、四十面相という名前は浸透せず、後にまた二十面相に戻しています。
『あしたのジョー』で力石徹が壮絶な減量をしたのは、体を大きく描いてしまったからである。
1968年に連載が始まり大ブームを巻き起こしたボクシング漫画『あしたのジョー』。
その中でも主人公・矢吹丈とライバル・力石徹との闘いは多くのファンを魅了しました。
さて、力石徹は矢吹丈と戦うために無理な減量を行い、それがたたって試合後に死んでしまうのですが、この力石の減量は作画のちばてつやのミスによるものだというのをご存知だったでしょうか?
実は高森朝雄(梶原一騎)の書いた原作を読んだちばが、力石は大男であるというイメージを抱き、身体を大きく描いてしまいました。
ところが丈と同じ階級で闘うには体格が違いすぎるということで、力石に無理な減量をさせることになってしまったわけです。
ライバルであるコンビニ店同士が近くに出店するのは、戦略がある。
よく街中で同じ会社のコンビニ同士、あるいはライバル社のコンビニがすぐ近くにある風景を見ますが、これは単に偶然ではなく、戦略的な理由があるのです。
コンビニは人が集まりやすいところに建てられるのが多く、そこから離れると集客が見込めません。
そのため色々なコンビニが同じ地域に乱立するのです。
そして同じ会社のコンビニが近くにあると、その地域で認知度を高めることができ、さらに会社側としても商品の配送が非常に楽になるメリットがあります。
無計画にオープンしていると思われていたかもしれませんが、実は緻密な戦略がそこにはあったのです。
「週刊少年ジャンプ」と「週刊少年サンデー」の出版社は、もともと同じだった。
「週刊少年ジャンプ」を出版している集英社は、実はもともと「週刊少年サンデー」を出版している小学館から分離独立して出来た会社なのです。
1926年、小学館は趣味娯楽系の雑誌を出版するにあたり、集英社名義を使ったことに始まります。
その翌年、集英社は小学館から独立、娯楽雑誌の出版社としてスタートしたのでした。
現在も集英社の大株主は小学館で、密接な関係にあります。
『NARUTO』最終回が掲載された号の『ONE PIECE』の扉絵には、様々なメッセージが込められていた。
「週刊少年ジャンプ」連載の人気漫画『NARUTO』。
2014年の第50号で最終回を迎えましたが、その号に掲載された『ONE PIECE』の扉絵には『NARUTO』に対する様々なメッセージが込められていました。
『ONE PIECE』のタイトルロゴの「I」の文字はいつもはルフィの姿を模したものになっていましたが、この号ではうずまきナルトの姿になっていたり、ルフィたちがご飯を食べている食堂のメニューの頭文字を読むと「なるとおつかれさんでした」という具合。
「週刊少年ジャンプ」のいち時代を築いた作品の作者同士の熱い友情がここに感じられます。
掲載日時 | 2021/2/26 18:15 |
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