意外な過去の雑学
【聞くトリビア 読む編part.9】
リンカーンは元レスラー。300戦で1敗しかしなかったという伝説がある。
奴隷解放宣言でおなじみのアメリカ第16代大統領リンカーン。
彼は実は身長が193cmと非常に背が高く、若い頃はその体を活かしレスリングの世界で活躍しました。
21歳のときにはイリノイ州の郡のチャンピオンとなり、実に300戦1敗という大記録を築き上げたという伝説が残っています。
後にアメリカのナショナル・レスリングの殿堂は、リンカーンのその功績を讃えて、「優れたアメリカ人賞」という賞を贈りました。
ドナルド・トランプは、WWEの殿堂入りを果たしている。
続いてもアメリカ大統領の話。
第45代アメリカ大統領ドナルド・トランプはアメリカのプロレス団体WWEと関わりが深く、リングにも上がったことがあります。
2007年、トランプとWWEのオーナーであったビンス・マクマホンが代理人となるプロレスラーを立てて戦うという「億万長者対決」と銘打たれた試合が行われました。
最終的にはトランプが勝利しましたが、レスラーから技をかけられ、リング上でダウンするといった一幕も。
トランプはそれ以外にも経営するホテルをプロレスの会場として貸し出すなど、WWEに協力をしており、その功績を讃えられて2013年にWWE名誉殿堂入りを果たしました。
ルンバのルーツは地雷探知機。
現在は多くの家庭で活躍している掃除機ロボット。
その元祖はiRobot社が開発したルンバです。
このルンバに搭載されている人工知能は、実はもともとは紛争地域で埋められている地雷を探し出すロボットに使われていたものです。
地雷探知ロボットは様々な路面環境に対応し、どんなものがどこに位置しているかを判断しながら、どこに埋められているかわからない地雷を駆除します。
これらの技術を応用して掃除機ロボットのルンバが誕生したのです。
札幌時計台はもともと札幌農学校の道場だった。
札幌市の観光名所として有名な札幌時計台。
その正式な名称は「旧札幌農学校演武場」といい、その名の通り農学校の生徒が柔道や空手などの武道を練習するために建てられたものでした。
北海道の開拓の指導者となるためには体力が必要であるという考えから、あのクラーク博士が武道の訓練の授業を導入するということで、建設を提案したそうです。
後に農学校が移転するにあたり、当時の札幌区がこの建物を借り受け、それから札幌市民が文化活動などに利用できる施設として使われるようになりました。
現在も演武場であった2階ホールは演奏会や講演会などで利用することができます。
俳優の松坂桃李は漫画家を目指していた。
人気俳優の松坂桃李は、中学生の時に漫画家にあこがれ、大好きだったという古谷実(ふるや・みのる)のギャグ漫画『行(い)け!稲中卓球部』のキャラクターを模写するなど、絵の練習をしていたそうです。
その後、漫画家の道は諦めたものの、漫画好きは変わらず、『ONE PIECE』の大ファンで、『週刊少年ジャンプ』も欠かさず買っているとのことです。
ミイラは汽車の燃料としても使われた。
19世紀のヨーロッパではナポレオンのエジプト遠征による影響で、多くのエジプトのものが輸入され、ミイラもそのひとつとしてヨーロッパに出回るようになりました。
当初は学術調査という目的で持ち込まれたミイラですが、そのうちミイラを粉にして薬として飲む人が出始め、貴族の間で流通するようになりました。
その後ミイラは化粧品や肥料としても使われるようになり、しまいには蒸気機関車の燃料としてミイラの粉を使用するようになってしまっていました。
こんな罰当たりな使い方をされて、当のエジプト人はかなり怒ったのではないか、と思われますが、なんとエジプト人はこれに便乗してヨーロッパ人相手にお土産用のミイラを販売していたそうです。
麻生太郎は射撃でオリンピックに出たことがある。
帽子がトレードマークの麻生太郎元首相。
大学時代からクレー射撃の選手として活躍しており、大学生のときには全日本選手権で優勝、1974年には国際大会で優勝するほどの実力を持っていました。
その実力を引っさげて1976年のモントリオールオリンピックで日本代表として出場しましたが、結果は41位。
その後は選手としては引退しましたが、かつて日本クレー射撃協会会長を務めるなど、クレー射撃の世界と関わり続けています。
稲川淳二はグッドデザイン賞を受賞している。
怪談話でおなじみの稲川淳二は芸能界に入る前は工業デザイナーとして働いていました。
たとえば駅の売店で使うバーコードリーダーや、新幹線の車内で車掌が使う検札機などのデザインを手がけたこともありました。
そんな稲川作品の中で、優秀なデザインに贈られる賞・グッドデザイン賞を受賞したものがあります。自動車を通行させないようにするための車止めがそれ。
現在でも、工業デザイナーとしても活動しており、工業デザインに関する講演も数多く行っています。
通天閣は吉本興業によって買収されたことがある。
吉本興業の創業者である吉本せい。
彼女の夫である吉兵衛は常日頃から「通天閣を吉本興業のモニュメントにしたい」と言っていました。
しかし吉兵衛は志半ばで他界。
せいは彼の夢を叶えるべく吉本興業を大会社へと発展させ、吉兵衛が亡くなって14年後の1938年についに通天閣を買収します。
価格は今の価値で17億円ほどだったそうです。
しかし、購入したのもつかの間、その5年後の1943年に通天閣は火事の被害を受け、戦争で軍部が金属不足であったことから解体され日本軍に回収されてしまいました。
わずか5年とはいえ、通天閣を我が物にしてしまう吉本興業の当時の勢いのすごさを感じさせるエピソードです。
アンパンマンはもともと人間の姿をしていた。
やなせたかしが生み出した子どもたちの人気者アンパンマン。
みなさんはその丸いアンパンの頭が乗っているかわいらしいヒーローの姿を想像すると思います。
アンパンマンが初登場したのは1969年に発表された大人向けの短編小説の中でのことでした。
しかしそこの挿絵に描かれているアンパンマンは小太りの男で、皆さんが知っているアンパンマンとはまるで別物の姿でした。
作者のやなせたかしは、本物の正義はかっこいいものではないという考えから、このようなキャラクターを描いたそうです。
現在のような姿のアンパンマンが初登場したのは1973年のことで、当初は体つきも人間に近いリアルな姿でしたが、何度も描かれていくうちに今のような可愛らしい姿へと変化していきました。
掲載日時 | 2021/2/5 18:00 |
---|
クイズに関するニュースやコラムの他、
クイズ「十種競技」を毎日配信しています。
クイズ好きの方はTwitterでフォローをお願いします。
Follow @quizbang_qbik