偉人のダメダメエピソード3
【聞くトリビア 読む篇part.3】
ダーウィンは、血が苦手で医学部を中退した。
『種の起原』を著し、進化論を提唱したイギリスの博物学者ダーウィン。
子供の頃から植物や動物、鉱物などが好きで、将来科学者として活躍する片鱗を見せていました。
しかし、医者でもあったダーウィンの父親は、息子の興味は将来の役に立たないと考え、医学部に通わせることにしたのです。
ところが、当のダーウィンは血が苦手で中退。
今度は父親はダーウィンを聖職者にしようと考えますが、こちらも続きませんでした。
結局ダーウィンは興味のままに博物学の研究に没頭することになり、その道で偉大な業績を残すことになりました。
夏目漱石は、英語の先生だったにもかかわらずイギリスで英語が通じず、ノイローゼになった。
漱石は34歳の時に、英語研究のため文部省からイギリス留学の命を受けました。
しかし、現地で思うように英語が通じないこともあってノイローゼに陥り、とうとう下宿に閉じこもったきりになってしまいます。
漱石のことを心配した下宿の女主人が、「彼は真っ暗な中で泣いている」と漱石の友人に報告したほどでした。
一休さんは、酒飲みで性欲旺盛、遊郭にも通っていた。
とんちで有名な室町時代の僧侶・一休宗純は、実際は酒好き、女好きな生臭坊主だったようです。
また、若い頃に二度も自殺未遂を起こしたり、木刀をさして街を歩いたりと、様々な奇行が伝えられています。
一方で、このような一休の行動は、権力と結びついて腐敗していた当時の禅宗への反骨心から来ていると考える人もいます。
フロイトは、コカイン中毒だった。
精神分析の創始者として知られるフロイトは、コカインの使用を推奨した人物でもありました。彼はコカインを「魔法の物質」と呼んで、その効能に関する論文も発表しています。
また、自らコカインを常用するだけでなく、身近な人や患者にもコカインを使うことを勧めていました。
さらに、フロイトが処方した大量のコカインが原因で亡くなってしまった患者もいたということです。
江戸川乱歩は、作品の結末が思いつかず、読者に謝ったことがある。
これは、江戸川乱歩が『悪霊』という作品を雑誌に連載していた時のことです。
乱歩はストーリーをきちんと構成できないうちに作品を書き始めて、結局行き詰まってしまったのです。
いよいよ犯人が暴かれるというところまできて、いきなり休載となりました。
乱歩は「抜け殻同然の文章を羅列するに堪えませんので、ここに作者としての無力を告白して、『悪霊』の執筆をひとまず中絶することに致しました」と読者にお詫びしました。
『水戸黄門』でおなじみの徳川光圀は、二度も殺人を犯している。
徳川光圀は、若い頃は町で刀を振り回したり、遊郭に通ったりする、不良少年だったといわれています。
最初の殺人は、その若い頃、友人にそそのかされ、度胸試しで人を斬ってしまったというものでした。
2度目は晩年に隠居してからで、理由は不明ですが水戸藩の家老を刺殺しました。
本物の光圀は、ドラマに描かれる好々爺のイメージとはほど遠い、怖い人だったようです。
劉邦は、項羽から馬車で逃げるとき、スピードを出すために子どもを投げ捨てた。
垓下の戦いで項羽を破り、天下を統一した前漢の初代皇帝・劉邦。
しかし、その劉邦には、項羽の攻めに合い、逃げる途中でわが子を捨てるという、非情な逸話が伝えられています。
その子どもですが、劉邦に仕えていた夏侯嬰(か・こうえい)という武将が拾い上げ、結局捨てるのは諦めたとされます。
勝海舟は、咸臨丸で渡米したとき、船酔いで船長室からほとんど出なかった。
太平洋を横断した咸臨丸を指揮したとされる勝海舟ですが、実は船酔いしやすい体質で、航海を苦手としていたようです。
また、当時は勝海舟を含め、日本人乗組員が船を扱う技術も未熟で、アメリカ人乗組員のおかげで咸臨丸は太平洋を横断できたようなものだったそうです。
掲載日時 | 2021/1/22 18:00 |
---|
クイズに関するニュースやコラムの他、
クイズ「十種競技」を毎日配信しています。
クイズ好きの方はTwitterでフォローをお願いします。
Follow @quizbang_qbik