偉人のダメダメエピソード2
【聞くトリビア 読む篇part.2】
ゴッホは、自ら切り落とした耳を好きな女性に贈っている。
画家のゴッホは精神的に追い詰められ、自らの耳を切り落としたというエピソードが有名です。
その耳はどうしたかというと、新聞紙でくるみ、封筒に入れて、お気に入りの女性にプレゼントしたそうです。
なぜ耳を送ったかというのはわかってませんが、女性としたら迷惑以外の何物でもなかったことでしょう。
ゴッホはその翌日、病院に運ばれ、治療は受けました。
しかし、以前よりも精神的に追い詰められるようになり、毎日悪夢にうなされるようになったとか。
この事件の後、ゴッホは耳を切り落とした自画像を描きます。
その作品『パイプをくわえる包帯の自画像』は彼の代表作として知られています。
教育学の名著『エミール』を書いたルソーは、自分の5人の子どもを全員孤児院に捨てている。
フランス革命にも大きな影響を与えた思想家ジャン=ジャック・ルソーの著書『エミール』は、現在でも教育学の名著として読み継がれています。
しかし、ルソー本人は10歳年下の愛人テレーズとの間に設けた5人の子供を、全員孤児院に捨てました。
この捨て子事件は、ルソーが『エミール』を発表した直後に、険悪な関係にあった思想家のヴォルテールによって暴露されました。
後にルソーは、著書『告白』の中でこの出来事について、「孤児院で育った方が子供は幸せになれる」と言い訳をしています。
ダリは、潜水服を着て演説をしようとして窒息寸前になった。
ダリはシュールレアリズムを代表するスペインの画家で、マスコミに対する派手なパフォーマンスでも知られていました。
1936年にロンドンで行われたシュールレアリズム展の講演会に、ダリは潜水服を着て登場しました。
ダリは演説を始めるや、突然激しい動きをしだし、これには観客も大受け。
しかし、これはギャグなどではなく、息ができないのでヘルメットを外してくれ、という合図だったのです。
何とかヘルメットを外してもらったダリは、そのまま演説を続けたそうです。
ドストエフスキーは、ギャンブルにハマって借金を重ねた。
ドストエフスキーは、『罪と罰』『カラマーゾフの兄弟』などの作品で、人間の存在の根本的問題を追求したロシアの作家です。
しかし、私生活ではギャンブルにハマった浪費家でした。
仕事の収入は決して悪くなかったのですが、お金が入ったその日には全部なくなってしまうという有様でした。
そんなドストエフスキーは、ルーレットの魅力に取り付かれて身を滅ぼす青年を主人公とした『賭博者』という作品を残しており、自らの体験を見事に作品に昇華させた、ともいえるかもしれません。
モーツァルトは、『おれの尻をなめろ』というタイトルの曲を書いている。
ケッヘル番号231『おれの尻をなめろ』は、カノン形式で書かれた、6人の男性合唱の曲です。
このタイトルはドイツ語で「消え失せろ」というような意味の、罵倒する言葉だという説もあります。
しかし、映画の『アマデウス』でも描かれたように、モーツァルトに下ネタ好きな一面があったのは事実のようです。
モーツァルトは多くの手紙を残していますが、その中には、かなり下品な文面のものも残されています。
平賀源内は、殺人で逮捕され、1ヶ月後に獄死した。
エレキテルなどを発明した平賀源内は晩年、大工と一緒に大名屋敷の修理を請け負うことになりました。
ある時、源内は酔っ払って、修理計画書を盗まれたと勘違いし、それが原因で大工の棟梁を殺してしまうという事件を起こしました。
彼は殺人の罪で牢に入れられ、1ヶ月後に破傷風で亡くなりました。
その葬儀は杉田玄白らが執り行ったということです。
経済学者マルクスは、借金まみれだった。
『資本論』や『共産党宣言』を書き、資本主義を批判したマルクスは、弁護士の父のもとに生まれ、良い教育を受けて育ちました。
ところが、大学に進学する頃から素行が悪くなり、浪費と借金を重ねるようになりました。
マルクスが法律家になることを願っていた父親は資金援助を惜しまなかったのですが、仕送りは夜遊びに消えてしまい、父親からの説教が綴られた手紙も残っています。
マルクスの浪費はその後も直らず、経済学の歴史に大きな足跡を残す一方で、私生活における経済観念は破綻していたようです。
クラーク博士は、詐欺容疑で訴えられたことがある。
札幌農学校の教頭を辞めて日本を去るとき「少年よ大志を抱け」という有名な言葉を残したクラーク博士。
アメリカ帰国後は鉱山関連の会社を立ち上げます。
ところが、会社を一緒に立ち上げたパートナーは、過去に横領を繰り返してきたような人物だったのです。
このパートナーのせいで、会社に入金されたはずのお金がなくなり、パートナーは逃亡。
クラークは、出資者から詐欺容疑で訴えられてしまいました。
クラーク自身は最終的には無罪になったのですが、この事件で深く傷ついた晩年を送りました。
野口英世は、借金してまで得た留学資金を飲み歩いて使いきった。
小さいときに手に大火傷を負うという苦難にも負けず、生涯を伝染病の研究に捧げた野口英世。
努力を重ねた人というイメージがありますが、一方でお金に関わるトラブルが絶えない人でした。
アメリカへの留学を希望していた英世は、知人たちからお金を借り、さらに資産家の娘と婚約して結納金も手にしました。
しかし、英世はこのお金をほとんど遊んで使ってしまったのです。
結局、英世のパトロンで、のちに日本歯科医師会会長も務めた血脇守之助という人物がお金を用意してくれたことで、なんとかアメリカへ留学することができました。
掲載日時 | 2021/1/22 18:00 |
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