偉人のダメダメエピソード1
【聞くトリビア 読む篇part.1】
坂本龍馬は、13歳になってもおねしょをしていた。
幕末の志士の中でも高い人気を誇る坂本龍馬。
剣術に関しても、北辰一刀流の免許皆伝の腕前で知られる剣豪ですが、子どもの頃は泣き虫のいじめられっ子だったそうです。
それを鍛えたのが姉の乙女。
体重100キロを超える豪傑のような女性で、龍馬を鍛え上げ、自信をつけさせたといいます。
そんな龍馬ですが、唯一克服できなかった弱点はおねしょです。
今の中学生くらになってもまだしていたとか。
さらには、剣術仲間の武市半平太の家にいくと、毎回帰りに玄関の門に立ちションをしていました。
当然、半平太の奥さんは怒りますが、当の半平太は笑って許したといいます。
毎回立ちションをする度胸も、それを笑って許す度量も、後世に名を残す人物らしいものです。
エジソンは、公開前の映画を無断でコピーして大儲けしていた。
発明王エジソンはその輝かしい業績ばかり注目されていますが、実は裏でライバルに対して様々な悪さを行っていたことはご存知でしょうか?
実業家でもあったエジソンは、ライバル会社が制作した映画の海賊版を無断コピーし、それで儲けたと同時にライバル会社が弱体化するように暗躍していました。
また他にも、電力会社を設立していたエジソンはライバルである電力会社の送電方式を使った電気処刑装置を作り、それで動物を殺し、映画を撮影するなど、様々なネガティブキャンペーンを行ったという逸話が残っています。
石川啄木は、結婚式をすっぽかした。
「はたらけど はたらけど 猶わが生活(くらし) 楽にならざり ぢつと手を見る」。
この代表作からイメージされる石川啄木は、清く貧しい青年かもしれません。
しかし、実際の啄木はとんでもないトラブルメーカーでした。
尋常中学校ではカンニングがきっかけで退学、仕事についてからも欠勤の常習犯。
さらに女遊びがひどく、借金まみれでした。
そんな啄木の身勝手ぶりが表れた最たるエピソードが、結婚式をすっぽかしたという事件。
当時啄木は19歳でしたが、結婚式の5日後に悪びれることもなく婚約者の前に姿を表したそうです。
すっぽかされた彼女も、啄木の才能を信じ、その後も妻としてついていきました。
福沢諭吉は、禁酒中も「ビールは酒じゃない」と飲んでいた。
一万円札の肖像としてもおなじみの福沢諭吉は若い頃からお酒が大好きで、特にビールをこよなく愛していました。
そのことから30代半ばに体調を崩し、お酒を節制しなければならないはめに。
ところがビールだけはどうしてもやめられず、「ビールはお酒じゃない」と言い張るほど。
そんなわけで、福沢は周りには「ビール以外は一切飲んでいない。禁酒には成功している」と得意げに語っていたとか。
芥川龍之介は関東大震災の際、自分だけ助かろうと一人で家を飛び出した。
1923年9月1日に東京を襲った関東大震災。
芥川龍之介はこの時、妻、父と2人の幼い息子たちと一緒に家にいました。揺れが始まったとき、芥川は「早く外に出るように」とだけ言い残し、家族を置いて一人で家を飛び出しました。
残された芥川の妻と父は幼い息子たちを抱えて命からがら逃げ出し、誰も死なずに済んだのですが、さすがに妻は芥川に対してカンカン。
「赤ん坊が寝ているのに一人だけ先に逃げるのはどういうことか!」と怒鳴りつけると、芥川は「こういうときは人間、自分のことしか考えないものだ」と開き直ったそうです。
藤原道長は、気に入った部下の試験の成績を改ざんさせようとした。
『御堂関白記』の作者としても知られる平安時代の役人・藤原道長。彼は様々な悪行のエピソードが残っています。
道長がまだ若かった頃、当時、気に入っていた人物が役人の採用試験を受けと聞き、試験官である橘淑信を拉致し自分の家へと連れていきました。
そして、その人物を合格させるため試験結果を改ざんさせるよう脅したというのです。
他にも気に入らない人物を監禁、暴行していたなど、悪いエピソードには事欠かさず、評判は芳しいものではありませんでした。
アインシュタインは、ノーベル賞の賞金を離婚の慰謝料として使った。
アインシュタインは実は女癖が悪く、最初の妻ミレーバと結婚してからも他の女性と浮気を繰り返していました。
それが原因で離婚することになるのですが、慰謝料を請求されたとき、アインシュタインは、いずれノーベル賞を獲るから、その賞金が出るまで待ってくれと言いました。
実際その2年後にノーベル賞を獲り、賞金は全額ミレーバに。
有言実行したという意味ではすごいことではありますが、彼の女癖の悪さが招いたことと考えると、情けない話ではあります。
ピタゴラスは、自分の教えを覆す理論を発見した弟子を殺している。
古代ギリシャの哲学者ピタゴラスには多くの弟子がいました。
その中の一人ヒッパソスは研究中に分数で表すことができない数、「無理数」を発見しました。
ところが「無理数」の発見はこのピタゴラスの一門の教えを否定するものであり、彼の発見は表に出すべきではないとの結論に至りました。
そしてピタゴラスたちはこのことが外にもれないように、なんと彼を抹殺してしまったのです。
ピタゴラスが研究したことは学問の域を越えて、ある種宗教的なものになってしまったゆえに起こった悲劇です。
葛飾北斎が93回も引っ越ししたのは、部屋が汚くなったから。
江戸時代の浮世絵師、葛飾北斎。
彼の伝説でよく聞くのはその引っ越し回数の多さです。
その数93回。
彼がそれだけの回数、引っ越しをしたのはなぜだったのでしょう?
それは、彼が絵を描くことに集中するあまりに掃除が一切できなかったからです。
家の中がゴミだらけになってしまい、絵を描くスペースがなくなったから新しい家に引っ越すということを繰り返していました。
引っ越しといっても遠くに行くことはなく、現在の東京都江戸川区や葛飾区あたりを行ったり来たりしていたそうです。
掲載日時 | 2021/1/22 18:00 |
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