モミジDr.のリカバリー日記
第285回「江戸五街道」
先日、「一里塚」の問題を作成していたのだが、昔の問題集には普通に次のような感じで掲載されていた。
問題「江戸時代、街道の一里塚に植えられていたのは何の木?」
正解「榎」
というもの。
これは正確には間違いである。
一里塚に植えられた木で最も多いのは「榎」だが、せいぜい半分程度であり、四分の一程度に「松」、一割程度で「杉」であった。他にも「栗」「桜」「樫」なども存在した。途中の問題文に「最も多く」とかが入ればよかったのだが。
ただ、「問題集は絶対正しい」と思い込んでいたころの自分は「榎」以外の正解はないと信じ込んでいたので、「松」や「杉」と答えていた人を不正解にしていたように思う。あの時、不正解にした方には申し訳ない気持ちである。
こんな風に、クイズを長らくやっていると、一つ一つの問題に思い入れがあり、問題によっては愛着がわくものもあり、申し訳ない気持ちになるものや恥ずかしい気持ちになるものもある。
こんなこともクイズの面白さなのかもしれない。
ということで、今日は「江戸五街道」を探索してみたい。
【今週のテーマ「江戸五街道」】
歴史の分野から「江戸五街道」
問題01
江戸五街道の起点となった橋の名前は?
問題02
江戸五街道で、「東海道」を「表街道」と呼ぶとき、「裏街道」と呼んだのはどこ?
問題03
江戸の街道に設けられた「関所」を通過するときの言葉として知られるのは「入り鉄砲に何」?
問題04
東海道の途中にある「熱田」と「桑名」を結ぶのは「海上“何里”の渡し」?
問題05
江戸五街道で、甲州街道の最初の宿場は「内藤新宿」、では、日光街道・奥州街道の最初の宿場は?
問題06
江戸時代に整備された「五街道」。「東海道」は現在の「国道1号線」であるのに対し、「甲州街道」は現在の国道何号線?
問題07
東海道五十三次のど真ん中にあたる宿場はどこ?
問題08
伊勢路、中国路、西国街道などがその例である、江戸五街道に附属した「脇街道」のことを「環」という漢字を用いて何という?
問題09
江戸時代のあるお城を終点とした脇街道の名称で、「日光街道」と「奥州街道」をまとめ、近年では「成田街道」と呼ばれているのは?
問題10
東海道の宿場の中でその間隔が最も短い「16丁(約2㎞)」のは、どことどこの宿場の間?
正解【江戸五街道】
問題01
日本橋
(にほんばし、終点は京都の「三条大橋」。現在、日本橋を起点とする国道は7つ。1号、4号、6号、14号、15号、17号、20号。また、現在の「日本橋」の文字は徳川慶喜によるもの)
問題02
中山道
(なかせんどう、「中仙道」「木曽街道」「木曽路」とも呼ばれる。「日本橋」から「草津」まで67次。「京都」までだと69次。)
問題03
出女
(でおんな、関所を通過するときに厳しかったもの二つ。「一つは、鉄砲などの武器が江戸に流入すること、もう一つは幕府が人質として江戸城内に住まわせた大名の妻女が逃亡するのを防ぐため」
問題04
七里の渡し
(東海道における唯一の海上路。移動距離が七里で約4時間かかった。迂回路は「佐屋街道」と呼ばれ、遥かに多くの時間を要した。)
問題05
千住
(せんじゅ、東海道で最初の宿場は「品川」、中山道は「板橋」。この4つの宿を「江戸四宿」と呼んだ。)
問題06
国道20号線
(「甲州街道」は五街道の中で5番目に開通した。「江戸」から「甲斐国」へとつながる路。「下諏訪」で「中山道」と合流。)
問題07
袋井
(ふくろい、江戸から数えても京から数えても「27番目」。「掛川」と「見附」の間。)
問題08
脇往還
(わきおうかん、五街道とともに重要視されていたため、幕府直轄であった。それ以外の諸街道は勘定奉行が管轄した。)
問題09
佐倉街道
(さくらかいどう、江戸幕府の書『伝馬宿拝借銭覚』による。「水戸佐倉道」と「千葉佐倉道」がある。この道を経由して「成田山新勝寺」へ至る成田参詣が隆盛し、しだいに「成田街道」とよばれるようになった。)
問題10
御油(ごゆ)宿と赤坂(あかさか)宿
(いずれも現在の豊川市に位置する宿場。「赤坂宿」には、東海道筋で唯一21世紀まで営業を続けていた旅籠「大橋屋」がある。)
ジャンル | モミジDr.のリカバリー日記 |
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掲載日時 | 2023/12/14 16:00 |
タグ | 江戸五街道 |
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