モミジDr.のリカバリー日記第236回「パチンコ」
ここ20年はお店に入ることもなくなったが、「パチンコ店」にはずいぶんお世話になった人間の一人であると思う。
自分のパチンコ人生を紐解くと大きく3つに分けられそうである。
- 「アレンジボール」・「雀球」中心 20代前半の頃
- パチスロ「ニューキャスターⅡ」中心 20代後半の頃
- パチスロ「大花火」中心 30代後半の頃
元々、団体競技が苦手なので、スポーツにしろ、遊びにしろ、一人でできるものが好きだった。(団体競技で唯一好きなのが「麻雀」である。)
このジャンルは話すと長くなるのでやめておくが、いずれも楽しくて仕方がなかった。上記の機種を打っていた人と語り尽くしたいくらいだ。
僕が熱中していた機種はすべてなくなっているが、今あれば、やはり遊びに出かけるだろうな、と思う。
【今週のテーマ「パチンコ」】
エンタメの分野から「パチンコ」
問題01 日本のパチンコ機の主流である「フィーバー機」を開発したメーカーはどこ?
問題02 縁起が悪い「4」と「9」の数字を使っていないパチンコ店において、「500番」の台の隣の台は、「501番」と何番?
問題03 群馬県で五番目に人口の多い都市で、パチンコ台生産額1位の都市は?
問題04 パチンコ玉の重さは約5g、では、直径は?
問題05 パチンコ店でお馴染みの『軍艦マーチ』の作曲者は誰?
問題06 パチンコ用語で使う「確変」は何という言葉を略したもの?
問題07 別名を「平台」「一般台」と呼ばれるパチンコ台の一つのジャンルで、初代の「ゼロタイガー」が戦闘機モノであったために俗に「何モノ」と呼ばれる?
問題08 パチンコ店で採用される「三店方式」を最初に導入した都道府県はどこ?
問題09 1910年にアメリカ・デトロイトのカイル商会が売り出した遊戯で、日本のパチンコの原型といわれていたのは?
問題10 パチンコ台で主流であった「正村ゲージ」に名を残す人物で、「パチンコの生みの親」といわれるのは?
正解【パチンコ】
問題01 三共(SANKYO、『スペースインベーダー』ゲームの大当たりにより、パチンコ業界は苦境を強いられていたが、1980年7月に「フィーバー機」の登場により、業界全体が活気づいた)
問題02 388番(「4」と「9」は「四=死」、「九」=「苦」のイメージから忌み嫌われる)
問題03 桐生市(きりゅうし、かつて「三共」「平和」の本社もあった)
問題04 11㎜(1988年の映画『ほんの5g』の5gはパチンコ玉の重量を示す)
問題05 瀬戸口藤吉(せとぐち・とうきち)
問題06 確率変動
問題07 羽根モノ(「飛行機モノ」とも呼ばれる。「羽根モノ」は、台の下方に設けられた開放チャッカーに入賞することにより、台中央に設けられた役物へのルートが開き、Vゾーンに入賞することにより、大当たりとなる形式)
問題08 大阪府(「三店」とは、パチンコ店、景品交換所、景品問屋のこと)
問題09 コリント・ゲーム(実際には「スマートボール」に近いものであり、パチンコの原型はヨーロッパから輸入された「ウォールマシン」である。)
問題10 正村竹一(まさむらたけいち)
ジャンル | モミジDr.のリカバリー日記 |
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掲載日時 | 2022/12/1 16:00 |
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