モミジ院長のリカバリー日記第127回「柔道」
(続き)小学生の頃までは、格闘技を題材とするドラマなどでは、主人公=柔道の達人、敵=空手の使い手という構図が多かった。僕自身も柔道を習っていたが、実際には空手のほうに興味がわき、自己流でトレーニングもしていた。
中学三年生のとき、知多半島のお寺で行われた塾の合宿で、同じ班に空手の達人がいた。お互いに格闘技好きということもあり意気投合し、塾の勉強もそっちのけで格闘技談義をした。合宿が終わる日、腕相撲で勝負をした。右腕は長い小康状態の末負け、左腕は勝った。僕は生まれてからというもの腕相撲で負けたことがなかったのでショックだったが、彼なら仕方ないと思った。合宿から帰ってからというもの、空手及び基礎トレーニングに夢中になった。いろいろな格闘術の本を読み、トレーニング方法も研究した。握力を鍛えるためのハンドグリップ(25㎏用)2つを強い紐で結び、それを毎日握り続けるトレーニングや脛をビール瓶でたたくトレーニング、腕立て伏せを20回から始め、毎日1回ずつ増やしていくトレーニングなど。最終的に握力は75㎏となり、腕立て伏せは400回(指立て伏せも含む)を数えた。
高校に入ってからも格闘技熱は続き、授業中も靴底に鉄の板を敷き詰めて足を上げるトレーニングや、腕だけで身体を持ち上げるトレーニングなどをやっていた。その頃の僕は「柔道と空手をマスターして総合的に強くなる」ことを目標にしていたのだが、完全に「格闘技馬鹿」だった。
興味の対象による自分史を作るとしたら、8歳~10歳「天文時代」、11歳~12歳「野球時代」、13歳~15歳「SF時代」、15歳~20歳「格闘技時代」といえるだろう。その後、「クイズ時代」がやってくることになるのだが、当時の僕は知る由もなかった。
テーマ問題「柔道②」
問題 9 柔道の「団体戦」において最後に登場するのは「大将」、では最初に登場するのは?
問題10 1964年の東京五輪柔道無差別級において、日本の神永昭夫を破り金メダルを獲得したオランダの選手は誰?
問題11 柔道で組み合った時に、相手の袖を持った手を「引手」というのに対し、相手の襟を持った手を「何手」という?
問題12 東京都台東区東上野にある浄土宗の寺院で、1882年に寺院の本堂を柔道場として使ったことから「講道館柔道の発祥地」とされるのは?
問題13 秋田出身の柔道家で、1956年に行われた第1回世界柔道選手権無差別級で初代王者となったのは誰?
問題14 柔道で、相手の攻撃に対して足の幅を広く取り、両ひざを曲げて重心を低くする防御姿勢のことを「何体」という?
問題15 「山嵐」を武器に講道館柔道で最初に黒帯の有段者になった人物で、富田常雄の小説『姿三四郎』のモデルとされるのは誰?
問題16 講道館黎明期の柔道家で、イギリスに渡り柔術を用いて他流試合で次々と大柄な選手を倒し、「スモール・タニ」として親しまれたのは誰?
正解【柔道②】
問 9 先鋒(せんぽう、⇒次鋒⇒中堅⇒副将⇒大将、団体戦「7人制」の場合、先鋒⇒次鋒⇒五将⇒中堅⇒三将⇒副将⇒大将となる)
問 10 アントン・ヘーシンク(日本のお家芸である柔道無差別級において、日本人が金メダルを獲得できなかったことは残念であったが、ヘーシンクが勝ったことにより国際的な五輪競技として認知されるきっかけとなった)
問 11 釣手(つりて)
問 12 永昌寺(えいしょうじ)
問 13 夏井昇吉(なつい・しょうきち)
問 14 自護体(じごたい)
問 15 西郷四郎(さいごうしろう、「講道館四天王」と呼ばれた一人。富田常次郎(富田常雄の父)、横山作次郎、山下義韶)
問 16 谷幸雄(たに・ゆきお、160㎝未満、60㎏未満という小柄な体型であったことから「スモール・タニ」という愛称となった。「イギリス柔道の父」と称された小泉軍治がロンドンで開設した「武道会」の初代師範でもある)
ジャンル | モミジDr.のリカバリー日記 |
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掲載日時 | 2021/4/8 16:00 |
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