モミジ院長のリカバリー日記第9回
1991年8月、第15回アメリカ横断ウルトラクイズの予選に挑むことになった。当時の自分は医学部最終学年の6回生であり、秋には卒業試験、年を明けると国家試験も待っている。仮にドーム予選を突破してニューヨークまで行くことになったら9月初旬~10月中旬の長旅となり、留年は避けられない。もし、留年になると、5回生からやり直しとも聞いていた。予選を突破しても行けないならウルトラはやめようかな、と思った。ところが、こんな怪情報が舞い込んだ。「ウルトラは今回で終わりかもしれない」
これで終わりかもしれないと思うと、いてもたってもいられなくなってしまった。心の中で、悪魔がつぶやいた。「3,4万人から100人に残るのは、いずれにしても難しいだろうし、記念に応募しちゃえば」「夏休みだし、東京旅行するくらいの気分で行けばいいのでは」と。結局、元々、遊びの誘いに弱い自分はあっさり悪魔の言葉に負けてしまい、即日エントリーしたのだった。
参加することになってからは、ひたすら○×問題の対策をした。ただ、1問目に登場する「自由の女神」問題の対策はやめた。過去の問題傾向から考えて、1問目は対策してわかるような簡単な問題は出ないので、こればかりは当日の運に任せることにした。それよりも、3問目以降に登場する、対策すれば何とかなる問題を徹底的にトレーニングした。「ミミズには目がない」「大腸と小腸を比べると、大腸のほうが長い」「巨人軍の王貞治選手の血液型はO型である」「電気クラゲには電気がない」「「バカ」とテープに吹き込んで逆回転で再生すると「カバ」と聞こえる」「鉄はさびると重くなる」などのようなタイプの問題だ。3問目以降に出題される(実力で突破できる)問題をクリアすれば、案外ウルトラの予選突破は宝くじを当てるような確率ではないのでは、と思えるようになった。ドーム1次予選は、毎年8問か9問連続で正解すれば突破となる。よし、なんとかなる、と、そんなことを考えながら、広島の仲間と東京ドームに向かったのだった。(続く)
【本日の問題「東京五輪1964③」】
第17問 1964年の東京五輪をはじめ、大阪万博や札幌五輪のポスターを手掛けたことで知られる日本人デザイナーは誰?
第18問 広島に原爆が投下された日、広島県で生まれたことから東京五輪の最終聖火ランナーに選ばれたのは誰?
第19問 1964年の東京五輪の女子選手村「富士食堂」の料理長を務めた人物で、日本に「バイキング方式」を導入したことで知られるのは誰?
第20問 1964年の東京五輪・ヨット競技に出場したスウェーデン人兄弟で、レースよりも海に落ちたライバルを救うことを優先し「人類愛の金メダル」と評されたのは?
第21問 水泳100m自由形で女子初の1分の壁を破ったことで知られ、メルボルン、ローマ、東京で金メダルを獲得し三連覇を達成したのは誰?
第22問 1964年の東京五輪陸上100m決勝でスターターを務めた人物で、数多くの競技でスターターを務め「スターターの神様」と評されたのは誰?
第23問 1959年、ミュンヘンで開催された第55次IOC総会において1964年の東京五輪開催が決定となった際、次点となった都市はどこ?
第24問 日本人で初めて国際体操殿堂入りした人物で、団体金メダルを獲得した1964年の東京五輪では日本体操チームの監督を務めたのは誰?
「東京五輪1964③」の正解
問17 亀倉雄策(NTTロゴマーク、グッドデザインマークなど)
問18 坂井義則(三次市出身、早稲田大学学生)
問19 村上信夫(第11代帝国ホテル料理長、)
問20 キエル兄弟(兄ラース、弟スリグ、このレースは11位に終わった。助けられたのはオーストラリアのチャールズ・ウィンター選手)
問21 ドーン・フレーザー(五輪旗を盗んで警察に捕まった)
問22 佐々木吉蔵(きちぞう)(自身はベルリン五輪で陸上男子100mに出場)
問23 デトロイト(3位ウィーン、4位ブリュッセル)
問24 竹本正男(ミュンヘン、モントリオールでも五輪監督を務めた)
ジャンル | モミジDr.のリカバリー日記 |
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掲載日時 | 2020/3/27 16:00 |
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