プロ野球クイズ王・尾林衡史の「野球本書評」vol.03
『栗山ノート』(栗山英樹著 光文社)
プロ野球クイズ王・尾林の野球本書評、第3回は、2023年に開催されたWBCで日本代表監督として見事世界一に導いた栗山英樹さんが日本ハム監督時代に出版した『栗山ノート』です。
栗山英樹さんは2012年から21年まで10年間日本ハムの監督を務め、リーグ優勝2度、日本一を1度達成した名将とされますが、現役時代は日本ハムに在籍した経験はなく(現役時代はヤクルト一筋でプレー)、引退後はずっと解説者、キャスターのほか、大学教授を務めており、監督はもちろんコーチ経験もなかったため、就任時はその手腕に疑問の声が上がっていました。
しかし、従来の固定観念にとらわれない柔軟な発想と広い視野でチームを強化、特に2012年ドラフトで獲得した大谷翔平選手を二刀流で育て上げたのは、栗山監督以外ではできなかたことと思います。
そんな栗山さんの考えをまとめた本を読むと、あらためて「多くの言葉を持っている」と感じます。
特に、栗山さんが現役最終年の1990年にヤクルトの監督に就任した野村克也さんとの共通点が節々に見受けられます。
栗山さんは野村克也監督にはあまり厚遇されず(もちろん、栗山さん自身の病気や他の若手選手の台頭などの要因はありますが)、29歳の若さで引退しましたがそれでも野村監督の指導者としての影響を受けていると思うのは、『論語』をはじめとした古来の思想家の言葉を多用していることです。
印象的なのは『論語』の一説「君子はこれを己に求め、小人はこれを人に求む」(君子はなすべきことの責任を自身に求め、自分本位な小さな人間は責任を他人に押しつける)を引用している点で、これは成功した多くの人が語っている言葉です。
栗山さんは監督時代何かあるとすべて「俺の責任」と語っていましたが、監督として全責任を背負うこと、選手・コーチを信じきったことがWBCで世界一という集大成となってあらわれたと感じます。
それではクイズにまいります。
テーマは「栗山英樹」です。
【問題】
1 ヤクルト入団時代に右打ちだった栗山英樹選手にスイッチヒッターになることを提案し、左打ちの指導を行ったヤクルトの選手は誰でしょう?
2 1990年に29歳の若さで現役引退する要因のひとつとなった、三半規管の異常により目まいや耳鳴りを発症する病気は何でしょう?
3 日本ハム監督時代につけていた背番号80番は、栗山英樹さんが監督として尊敬していた誰にあやかったものでしょう?
4 大谷翔平選手が日本ハム在籍時代、栗山英樹監督から足の故障を防ぐため、打者走者として1塁ベースを駆け抜ける際に厳命されていたことは何でしょう?
5 栗山英樹さんが解説者・キャスター時代の2002年に北海道栗山町に私財を投じて建設した、少年野球場の名称は何でしょう?
【正解】
1 若松勉…1985年オフから左打ちに取り組むと、翌86年に107試合出場、打率.301(規定打席には未達)を達成しました。
2 メニエール病
3 三原脩…80番は三原さんがヤクルト監督時代につけていた背番号です。また三原さんは日本ハムで球団社長を務めた経験もあります。
4 左足でベースを踏む…大谷選手は右足でベースを踏む癖がありましたが、右足で踏むと、左足が一塁手やベースカバーに入った投手と接触する危険があるためです。
5 栗の樹ファーム…映画『フィールド・オブ・ドリームス』にあこがれ、私財を投じて建設しました。
「なんでもクイズスタジアムプロ野球王決定戦」(2022年)
「野球本書評」の尾林衡史が出演・クイズ監修!
ジャンル | プロ野球クイズ王・尾林衡史の「野球本書評」 |
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掲載日時 | 2023/6/19 16:00 |
タグ | 栗山英樹 尾林衡史のBBB |
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担当ジャンル:スポーツ
1973年生まれ 福岡県出身
職業 クイズ作家 株式会社キュービック所属
物心ついたころから40年来の東京ヤクルトスワローズのファン。
年間の観戦数は30試合から40試合ほど。
仕事の「クイズ」と趣味の「野球」を組み合わせた「野球クイズ」をライフワークとし
プレーヤー・イベンターともに「野球クイズ」の第一人者を自負
主な実績
①プレーヤー
『全日本プロ野球クイズ王決定戦』(2013年6月)優勝
『プロ野球マニア王決定戦』(2019年3月)優勝
②イベンター
『プロ野球12球団ファンクイズ王決定戦』(2019年5月~2020年1月)
(全12球団+各回の優勝者で日本一を争う「日本シリーズ」の全13回)開催
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