横顔を見せたことがない「有名キャラ」に隠された秘密って?
【朗読】いつの間にか眠れる雑学【聞くトリビア】
フリーアナウンサー大橋俊夫氏の朗読とともに、秋の夜長にぴったりな雑学をお楽しみください。
こちらは動画の内容の書き起こし記事です。
音声と一緒にお楽しみください。
マンボウが昼寝をするとき、身体を横にする
海の中をゆったりと泳いでいる可愛らしい姿がわれわれの心をとらえて離さないマンボウ。そんなマンボウには昼寝をする習性がありますが、そのやり方が一風変わったものとなっています。 どのように変わっているのかというと、海面に身体を横にして昼寝をするというもので、何も知らずにその姿を見た人は、死んでいるのではないかと思ってしまいかねません。なぜこのような姿で昼寝をするのかというと体温を高めるためだそうで、マンボウは餌を求めて深海に潜ることがありますが、深海の水温は非常に低く、体温も下がりやすくなるとのこと。そんな冷えた身体を温めるために海面に浮かび上がり横になって、太陽の光で温かくなった海水に身をゆだねようとしているのではないかと言われています。 ただし、最近の研究ではマンボウの身体は冷たい環境にいても冷えにくい性質をしているとも言われており、横向きの昼寝も別の理由があるのではという意見も出てきています。もしかしたらわれわれが想像できない事情があるのかもしれません。今後の研究が待たれます。 |
日本で最も長かった車の渋滞の長さは、154km
年末年始やゴールデンウィーク、お盆になると、よくテレビで高速道路の渋滞のニュースが聞かれますが、それでもその長さはたいてい10kmか20kmほどではないでしょうか。 しかし、1995年12月27日、名神高速道路でとんでもない渋滞が発生してしまいました。その渋滞とは滋賀県の秦荘(はたしょう)パーキングエリア、現在の湖東三山パーキングエリアあたりから愛知県の赤塚パーキングエリアにわたるもので、距離はなんと154kmにも及びました。これが現在の日本最長の渋滞記録となっています。 なぜここまでの渋滞が起こったのかというと、年末の帰省ラッシュも大きいのですが、そのタイミングに合わせて突然の大雪がこの地域を襲い、高速道路が通行止めになってしまったのが最大の理由でした。このときは高速道路のみならず下道も混雑し、多くの人が足止めをくったそうです。 この渋滞が解消されたのは24時間後のことでした。それまでの間、多くの人が食事やトイレに悩まされたそうです。高速が混雑しそうと予想されるときは多めの食べ物と携帯トイレを持参したほうがいいかもしれません。 |
2004年、中国で2万4000個ものマンホールのふたが盗まれた
道を歩いているとよく見かけるマンホールですが、そのふたに対して何か価値を感じるという人はほとんどいないのではないでしょうか?ところが2004年の中国で、そのマンホールのふたが2万4000個も盗まれたそうです。 というのも盗んだマンホールのふたを闇の金属回収業者に売ってお金に変えるという犯罪者がいて、中国ではずっと社会問題になっていました。ふたが盗まれたことに気づかずに上を歩こうとしてしまい、落ちて亡くなる人も出ているそうです。 ふたが盗まれたマンホールは管理責任の所在が曖昧であるため、すぐに新しいふたを作ることができなかったそうで、代わりに落ちても安全なように簡単なネットを取り付けてなんとか防いでいたとか。 ちなみに中国でこの事件が起こったときに、なぜ日本にもマンホールが多くあるのに盗まれないのかという話があったそうですが、日本のマンホールは中国のものに比べて非常に重く、盗まれることはほとんどないそうです。 |
メキシコでは国歌の歌詞を間違えると罰金を取られる
国歌斉唱中に歌詞を間違えると罰金を取られると聞くと、逆に緊張して歌いにくくなってしまうのではないでしょうか。メキシコでは実際にそのような法律があり、サッカーの試合で間違えた選手が罰金を取られてしまったことがあります。 当の本人はわざと間違えたわけではないと裁判で訴えましたが認められず、日本円で4200円ほどの罰金を取られてしまいました。ちなみに悪意を持ってわざと間違えた場合の罰金額は10万円ほどにもなるそうです。 メキシコでは国歌は国の象徴と考えられており、そんな国歌を間違えることは、国に対する敬意が足りないと判断されるため、このような法律が設けられたわけです。大きな大会の開会式では必ず国歌斉唱があるため、メキシコ人はそのたびに異様な緊張感に包まれているのかもしれません。 |
ロック史上初のチャリティーコンサートを行ったのは、ビートルズのジョージ・ハリスン
現在、多くのチャリティーロックコンサートが開催されていますが、その元祖となるものを開催したのは誰かはご存知でしょうか?その人物とは元ビートルズのギタリスト、ジョージ・ハリスンでした。 1971年、ジョージ・ハリスンは、インド出身のシタール奏者ラヴィ・シャンカールと共同で、当時、飢えと疫病に苦しんでいたバングラデシュの難民を救うためのコンサートをニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンで開催しました。このコンサートでは企画に賛同したエリック・クラプトンやボブ・ディランをはじめとした多くのミュージシャンがノーギャラで参加し話題となりました。 チケットの売上も好調で、昼と夜の2回の公演で4万枚ほどが販売され、またライブの映画やレコードの企画もあり多くの収益があったそうですが、当時まだチャリティーのシステムが整っていなかったため、寄付金がちゃんと送られたのは10年以上後だったそうです。 |
三船敏郎は35歳の時に、70歳の老人を演じている
昭和の名優、三船敏郎。特に黒澤明監督の映画での名演技は今でも映画ファンに名高いものがあります。そんな黒澤作品の中のひとつ『生きものの記録』では、当時35歳だった三船敏郎が70歳の主人公を演じています。 この映画は制作当時に行われたアメリカのビキニ環礁の核実験を題材にしたもので、核兵器の脅威から逃げ出すために全財産を使ってブラジルに移住しようとした工場の社長を巡る騒動を描いています。この工場社長を演じたのが三船敏郎で、核兵器を恐れて狂乱している老人を見事に演じきっています。 この映画では、三船は特殊メイクをほどこして老人を演じましたが、映画を見た観客はあまりにもリアリティがある老人の姿から三船の姿を想像できず、どこに三船が出演していたんだという声があがったほどでした。黒澤作品の中ではあまり有名ではありませんが、三船の素晴らしい演技からコアなファンがつく名作となっています。興味がある方は一度見てみてはいかがでしょうか。 |
川端康成がNHKの連続テレビ小説に出演したことがある
ノーベル文学賞も受賞した日本を代表する作家、川端康成。そんな彼がNHKの朝の連続テレビ小説に出演した経歴がある聞くと誰もが驚くことでしょう。これは1965年に放送された連続テレビ小説5作目となる『たまゆら』という作品でのことで、彼はこの作品の原作者でもありました。 川端は小説の取材旅行のため京都を訪れていましたが、そのとき偶然にも『たまゆら』のロケが行われており、スタッフを激励しようと立ち寄ったところ、ディレクターが川端に出演を依頼、最初は断ったもののディレクターの熱意に負けカメオ出演し、扇千景演じる女性と立ち話をする老人を演じました。女優とのツーショットということで撮影中はかなりテレまくっていた様子でしたが、出演者やスタッフは、ドラマに出演するはずがないであろう川端の演技を見て大喜びだったそうです。 こう聞くと見てみたいと思う方も多いかもしれませんが、残念ながらNHKにもこのドラマのフィルムが現存していません。こんな貴重なシーンが保存されていないなんて、非常にもったいない話ですね。 |
競馬の障害レースの距離が通常のレースより長いのは、競走馬のケガを防ぐため
競馬のレースの障害レース。通常のレースで走る距離が2000mや2400mなどであるのに対し、障害レースでは4100mなど通常の競争よりも長い距離が設定されています。ただでさえ飛び越える障害があり競走馬に負担がかかるのに、さらに長い距離が設定されていることに疑問を生じるかもしれませんが、実は逆に競走馬のためを考えてのことでした。 距離が短いと競走馬はゴールを目指し猛スピードで走り抜けます。しかしその途中で勢い余ってケガをしかねません。そのためわざと距離を長くして競走馬が走るスピードを抑えて彼らをケガから守っているというわけです。ちなみに同じ理由で競走馬が背負う鞍などの重さも通常のレースよりも重いものが使われているようです。過去には現在より距離の短い障害レースも行われていたようですが、やはり安全面で不安があったのか現在は行われていません。 ちなみに障害レースで競走馬が飛び越える障害は高さが120cmから140cmほど、高いものだと160cmもの高さがあります。これを巨大な競走馬が飛び越える迫力はすごいものがあります。一度競馬場などで生で見てみてはいかがでしょうか。 |
宇宙に行ったゴキブリがいる
イヌやネコからメダカまで、過去にさまざまな生きものが宇宙空間へと旅立ちましたが、そんな中、あの多くの人が毛嫌いするゴキブリも宇宙を旅したことがあります。 2007年、ロシアの生物医学研究所は宇宙空間が生命体に与える影響を調査する実験の一環として数匹のゴキブリをロケットに乗せて宇宙ステーションへと送り、12日もの間そこで生活させました。これらのゴキブリたちは特別なコンテナに収められ、ビデオカメラでその様子を詳細に観察されたそうです。その実験では宇宙空間でのゴキブリは運動能力が低下し、動きが鈍くなって非常に疲れやすくなっていたとのこと。 また、その際に新しいゴキブリが33匹生まれました。これらのゴキブリは地球のゴキブリに比べて背中の色の変化のスピードが違ったそうです。苦手な人には身の毛がよだちそうな宇宙ゴキブリの実験ですが、さまざまな成果を得られたようです。もしかしたらこの実験から人類の未来に役立つ技術が誕生していくかもしれません。 |
日本に最初にメガネを伝えたのは、フランシスコ・ザビエル
目が悪い人には欠かせないメガネ。誕生したのは 13世紀のイタリアと言われています。当時、ガラス工芸で栄えていたベネチアで本格的なメガネが製造され、そこから世界に広まったとされています。そんなメガネが日本にやってきたのは1549年のことで、最初に持ってきたのはキリスト教を日本に伝えたことで名高い宣教師のフランシスコ・ザビエルでした。 ザビエルは来日して周防国、現在の山口県へとたどり着きました。そこで国を治めていた戦国武将、大内義隆に謁見、メガネを献上したそうです。すなわち、日本で最初にメガネをかけたのは大内義隆であると言い伝えられています。 1551年に日本を離れたザビエルですが、他の戦国大名にもメガネを献上していたらしく、豊後の国を治めていた大友宗麟もその一人で、彼もメガネをかけたそうです。この後、メガネは武将の間から全国に広まるようになりました。かの徳川家康は献上品として受け取ったメガネを晩年に老眼鏡として愛用していたと伝えられています。 |
かつての中国では、囲碁の碁盤と碁石を使った占いが行われていた
ゲームとしてもおなじみの囲碁は、古代中国では単なるゲームとしてではなく、別の目的で使われていたという話が伝わっています。古代中国の伝説上の皇帝、堯帝(ぎょうてい)が碁盤や碁石を占いの道具として使用し、これを用いて天下を治めたという記録が残っています。 というのも現在標準となっている囲碁の碁盤には361もの線が交差した点があり、これが1年の日数を表していると考えられ、さらに碁盤を四等分することで春、夏、秋、冬、すなわち四季を示していたとされています。また白い石は昼、黒い石は夜を意味するとも考え、そのため囲碁は占いをするのに適しているということで、歴史上の大事な局面で囲碁で今後の行方を占っていたそうです。 堯帝以外にも囲碁を占い道具として使っていたという記録は残されており、紀元前16世紀から11世紀ころの殷(いん)の時代の占いに関する甲骨文字の中に囲碁に関する記述があったそうです。 囲碁がゲームとして定着したのは、紀元前3世紀の漢の時代だと言われています。われわれが単にゲームだと思っていた囲碁にそんな過去があったなんて驚きです。 |
枕をレンタルできるサービスがある
最近はさまざまなものを買わずにレンタルで済ますことができる非常に便利な時代になってきました。中にはこんなものまでレンタルができるの、というものもあります。そのひとつに枕があります。 その名もそのまま「まくらレンタル」というサービスで、ネットで枕を注文し、それを最大一カ月間借りることができるもので、もしその枕との相性が良ければ、レンタル分の料金を割引した金額で購入することができ、合わなければ返却することも可能です。 枕選びは非常に難しく、実際に買って家で使ってみないと自分に合うものかわからないものです。このサービスはそんな悩みを少しでも解消できるようにと誕生したもので、レンタル料金さえ払えば、自分に合う枕を見つけるまで何度も試すことができます。 高さや柔らかさ、形などさまざまな枕を用意しているようで、どの枕にも合わないということはなさそうです。しっかりと睡眠が取れないとお悩みの方は一度試してみてはいかがでしょうか。 |
ニュートンが万有引力を発見するきっかけとなったリンゴの子孫の木は、日本にある
庭でリンゴが木から落ちるのを目撃したのをヒントに万有引力の法則を発見したニュートン。このきっかけとなったリンゴは「ニュートンのリンゴ」と呼ばれ、その子孫となる木は世界の科学に関係の深い場所に贈られ、現在でも育てられており、実は日本にもその子孫が何本も植えられています。 最初にその子孫となる苗木が贈られたのは1964年、イギリスの物理学研究所から日本学士院に贈られました。しかしその際、この苗木が病気のウイルスに汚染されていることが発覚、当初は処分してしまおうという話もありましたが、学術的に貴重であることから東京の小石川植物園で隔離されて育てられることとなりました。そして長年の研究の結果、16年後となる1980年に、ウイルスに汚染されていない部分を切り出すことに成功、翌年からこの木が一般公開され、さらに日本各地に移植されることになりました。 現在では小石川植物園をはじめとして、青森県のリンゴ研究所、広島大学、長野県果樹試験場などさまざまなところで育てられています。 |
和歌山ではみかんを皮ごと4つに割ってから食べる
みかんといえば裏側の中心に指を入れてそこから放射状に皮をむいて中身を取り出し食べるというのがふつうと思われますが、実はみかんの本場、和歌山県有田市ではほとんどの人が「有田むき」と呼ばれる変わったむき方で食べるそうです。 この有田むきとはどのようなものかというと、みかんを皮ごと半分に割り、それをさらに半分に割って中身を取り出して食べるというもの。 なぜ、この地域でこのむき方がスタンダードになっているかというのは、はっきりとわかっていませんが、一説によると、軍手をつけて作業しているみかん農家の人がみかんを味見しようとするときに、汚れた軍手のままでみかんの中身を触れないようにするために考案したのではないかと言われています。 この有田むき、皮が分厚い品種ほど身と皮が簡単に離れるのでやりやすいそうです。冬場にこたつでみかんを食べるときにでも一度やってみてはいかがでしょうか。 |
鹿児島県姶良(あいら)市では、クモを戦わせる大会がある
鹿児島県姶良市にある姶良市加治木福祉センターでは、毎年6月の第3日曜日に変わったイベントが行われ、国内のみならず海外からも多くの見物客が訪れます。そのイベントは何かというと、「姶良市加治木町くも合戦大会」。 これはクモを長さ60cmの棒で戦わせるというもので、相手にかみつこうとしたり、相手のクモの尻に糸をかけたりしたほうが勝ちとなります。1匹のクモは最大3回戦うことができ、3勝するとトーナメント「王将戦の部」に参加できます。 このイベント、ただがむしゃらにクモを戦わせるだけでなく、ちゃんとクモに対して注意を払っており、戦ってる途中にかみついて勝敗が決まりそうなときはその直前で勝敗を決めてクモが傷つかないようにしています。また大会が終わった後はもとの生息地に返してあげるなどの決まりもあります。 ここ数十年で、鹿児島周辺のクモの数もどんどん減っているとのこと。主催者側にとっては、このイベントを通じて、自然や生態系、環境問題に対する興味を持ってもらえる機会を作ってほしいとの思いもあるようです。 |
陸上大会の短距離走でスターターが使うピストルからは、音は出ない
陸上競技の短距離走などではスタート時にスターターがピストルを鳴らして合図をしますが、実は最近の大会ではあのピストルからは一切音が出ていません。あのピストルは単にタイムを計測するタイマーをスタートさせるためのスイッチでしかなく、音は選手の足を固定するためのスターティングブロックやトラックの内側に設置されたスピーカーから再生されたものです。 なぜ、実際のピストルを使わないのかというと、ピストルの音だと、スターターに一番近いコースにいる選手と一番遠いコースにいる選手の間で音が届くまでに微妙なタイムラグが生じてしまうからです。0.01秒を競いあう短距離走だとそのラグが致命的になったりします。それを防ぐためにこのようなシステムが取られるようになったわけです。 ちなみにあの合図のためのピストルですが、昔は実際の拳銃が使われていたことがあったそうで、そのため海外の大会では拳銃を扱うことができる警察官がスターターを務めていたこともあったようです。 |
月でも地震が起こる
毎日のように日本のどこかしらで起こっている地震ですが、実は月でも同じように地震が起こっています。かつてアメリカが行った月面探査計画、アポロ計画で月に地震計を持ち込み観測した結果、地球と同じように月でも揺れがあることが判明しました。そしてこの揺れに地震を意味する英語「アースクエイク」にちなんで、「ムーンクエイク」と命名しました。ちなみに日本語では「月」に「震える」と書く「月震」と呼ばれます。 なぜ、このような現象が起こるのかというとさまざまな原因が考えられており、もっとも多い原因は地球と月の引力が影響しあって起こるもので、マグニチュード1か2ほどと地球の地震に比べて規模は小さいものの、およそ30日に1回起こっています。また、月の比較的浅いところでマグニチュード3、4規模の比較的大きい地震も観測されています。 ただ、この地震に関してはさまざまな調査が行われましたが、いまだに原因はわかっていません。また、厳密には地震とは違うものではありますが、隕石の衝突による衝撃により揺れも観測されています。 |
歌手の北島三郎が出演したマリオシリーズのゲームがある
1980年代に起こったファミコンブーム。多くの人がファミコンの虜になり、さまざまなゲームに熱中していました。そんなブームの中、ビートたけしをはじめ多くの芸能人がゲームソフトを手掛けたり、キャラクターとして登場したりしましたが、あの演歌の大御所・北島三郎もファミコンゲームに出演した経験があります。 これは任天堂から発売された『帰ってきたマリオブラザーズ』というソフトで、当時ゲームとしては珍しく、食品メーカーの永谷園がスポンサーとなって販売価格が少し安くなる代わりにゲーム中にCMが入るという仕組みでした。そのCMのひとつに当時、永谷園の「お茶漬け海苔」のテレビCMに出演していた北島三郎が出演するものがありました。マリオとルイージとともにコミカルに画面上を動く北島三郎の姿は非常に印象的です。 このゲーム、CMつきという内容なだけにリメイクは一切販売されていないレアなもので、中古価格も当時の10倍以上となっています。もし持っている人がいたら、コレクターズアイテムとして大事に取っておいたほうがいいかもしれません。 |
55分で終わったプロ野球の試合があった
通常プロ野球の試合時間は1試合あたり3時間ほどかかりますが、過去には1時間を切るというとんでもない短時間で終わった試合があります。 その試合は1946年7月26日に西宮球場で行われた大阪タイガース対パシフィックの試合で、タイガース先発の渡辺誠太郎投手が9回を88球5安打2三振で完封し1対0で勝利しました。対してパシフィック先発の湯浅芳彰投手も8回を91球で完投しましたが、7安打を浴びました。両投手とも投球数が非常に少なかったため、ヒット数はそこそこありながらも試合はスピーディーに展開し、わずか55分というプロ野球史上最短記録となる時間で試合が終了しました。 対して過去最長の試合時間記録は1992年9月11日に甲子園球場で行われた阪神タイガース対ヤクルトスワローズ戦。結果は3対3の同点で、延長15回までかかり、試合時間はなんと6時間26分でした。試合が終わったのは翌日の午前0時を過ぎていたそうで、おそらく最後まで試合を見た観客の中には終電でも帰れなかった人もいたのではないでしょうか。 |
ボウリングでは、両手でボールを持って投げる投げ方がある
通常、ボウリングでボールを投げるとき、ボールの穴に指を入れて片手で持って投げるという人が多いと思われます。しかし最近、この常識を覆す新しい投げ方が誕生しているのはご存じでしょうか。それは「両手投げ」というもので、ボールを抱えるように持ってレーンを助走して投げるというもので、アメリカのプロボウラーの間でこの投法で活躍する選手が出てきたことから注目を浴びるようになりました。 この投げ方だともう片方の手でボールを回すように転がすことができるため、片手で投げるより強い回転をかけることができるというメリットがあり、日本のプロの間でも取り入れる選手が増えてきています。実際にこの投法を使ってプロの大会で優勝している選手もいるそうです。 もしかしたら将来この投げ方がスタンダードになるかもしれません。ボウリングのスコアアップに悩んでる方がいたら試してみる価値はあるのではないでしょうか。 |
お尻の穴で呼吸するカメがいる
われわれ人間が呼吸をするときは口から空気を取り入れて肺で酸素を取り入れ、二酸化炭素を外に出します。また、魚はエラ、カエルは皮膚を使って同様に呼吸を行いますが、一部のカメはなんとお尻の穴を利用して呼吸をしています。 そのカメとはカワガメというおもに川に生息するカメです。厳密にいうとカメのお尻の穴は「総排泄腔」という名称で、排泄だけでなく産卵や生殖活動もすべてこのひとつの穴から行います。カワガメはこの穴を通して水を取り込んで体の内部の器官に送り込み、そこから水に含まれる酸素を吸収して、体中の血液へと流し込みます。 なぜこのような呼吸をするようになったかというと、顔を出さずに酸素を取り込むことができるからだとされています。水面に顔を出していると天敵に見つかって食べられてしまう可能性があります。それを防ぐためにこのような呼吸ができるように進化していったというわけです。カワガメにとってお尻で呼吸することは、実はかなり理にかなった手段なのです。 |
抱き枕と結婚した男性がいる
2010年、ある韓国の男性が抱き枕と結婚したことで話題となりました。この男性が結婚したのは日本のアニメ『魔法少女リリカルなのは』のキャラクター「フェイト」が印刷されたもので、彼はどこに行くにもこの抱き枕と一緒で、ドライブや食事、遊園地にも行ったそうです。また食事では抱き枕の分のメニューも注文し、遊園地では入園料も払うという、まさに本当の彼女としての扱いを施していました。 結婚式は東京の教会で行われましたが、彼はスーツを身に着け、ウェディングドレスをまとった抱き枕と永遠の愛を誓ったそうです。教会の牧師も彼らの門出を祝い、通常と同じように結婚式を進めていたそうです。そして式が終わると夫婦は熱烈なキスをして、その幸せぶりを見せつけたとのこと。 ちなみに現在も彼の結婚生活はうまくいっているようです。世間的には奇妙な目で見られる結婚かもしれませんが、本人たちにとって幸せならば、それでいいのかもしれませんね。 |
橋の柱に書かれている文字で、入口と出口が見分けられる
川にかかっている橋に、実は入口と出口があるというのはご存知でしょうか。これは橋の入口と出口というよりも道路の起点と終点をはっきりさせるために設定されたもので、かつては東京の日本橋に近いほうが入口、遠いほうが出口と決められていたそうですが、現在ではそれぞれの都道府県や市町村によってどちらが入口、出口の決め方が違っているそうです。 では、どちらが入口か出口か見分ける方法はあるのかというと、実は簡単な方法があります。その方法とは橋のたもとにある柱に書かれた橋の名前を見ればよいのです。ここに書かれた橋の名前が漢字で書かれていると入口、ひらがなで書かれていると出口です。 特に見分けたからといって何か便利なことがあるかと言われると決してありませんが、知ってるとちょっと得した気分になる、そんな雑学でした。 |
ひとりぼっちの「ぼっち」とは、お坊さんのこと
孤独な状態を意味する「ひとりぼっち」。この言葉は「独法師(ひとりぼうし)」という言葉から生まれたといわれています。この「法師」がなまって「ぼっち」という言葉に変化したそうです。 「法師」とは、出家して仏教の戒律を守って修行している人、すなわち「僧侶、お坊さん」と同じ意味の言葉です。僧侶は家庭での生活を捨ててすべてを修行に投げ売って過ごしています。中でも「独法師」と呼ばれる人はあらゆる宗派や教団に属さず、ずっと一人で行動している僧侶のことを指します。彼らは戻る寺もなく、ずっとさまよい続けながら修行に打ち込んだとされています。そこから孤独な人のことを「独法師」にたとえて「ひとりぼっち」と呼ぶようになったそうです。 現在では「ぼっち飯」「ぼっちカラオケ」とあえて一人でいるのを楽しむ人にも「ぼっち」という言葉を使うようになり、プラスのイメージでも使われるようになってきましたが、もともとはどうしても一人にならざるを得なかった悲しいお坊さんから生まれた言葉なのです。 |
日本映画初のキスシーンは、GHQの指導により撮影された
1946年5月23日、終戦から間もない日本である映画が公開されました。佐々木康監督『はたちの青春』という作品で、ある男女の恋愛を描いた一見普通の映画でしたが、ある理由で日本中から注目を浴びました。というのもこの中で日本で初めてとなるキスシーンが演じられたからです。 これは当時日本を占領していたアメリカのGHQが、堂々と人前でキスをするといった恋愛などに対する欲望を表明することで日本人の思想を改革しようという思惑を込めて、映画会社にキスシーンを入れるように呼びかけたことから取り入れられました。今まで人前でキスを見せるようなことがまずなかった日本人にとって、このシーンは非常に刺激的だったのか、多くの観客を動揺させたようです。 ちなみにこのシーンを演じた俳優の幾野道子と大坂志郎は、さすがに実際にキスすることに抵抗があったのか、お互いの口の間に小さなガーゼを挟んでごまかしていたそうです。 |
南極にも温泉がある
南極半島の近海に浮かぶサンスシェトランド諸島にあるデセプション島。ヒゲペンギンの繁殖地として知られるこの島には、なんと南極には珍しい温泉があり、訪れる観光客を楽しませています。 この島は1967年と69年に噴火が起こった火山島で、現在でも火山活動が活発であるため、海の底から温泉が湧き上がっています。火山活動が強い日は、湧き出るお湯も高温であるため、海水とうまく調和されてちょうどいい温度の温泉を楽しむことができるそうです。また、南極という極寒地域でありながら、温泉の影響で海水が温かいため、水着で海水浴を楽しむ人もいるのだとか。この風景だけを見ていると、果たして自分が南極にいるのか、疑ってしまうかもしれません。 また、ここより少し南に位置するエレバス山という山も火山のため、近くに温泉が湧いている可能性があります。もしかすると、南極が温泉ファンが集まるスポットになるかもしれません。 |
雨男、雨女が集まってできた「日本雨女雨男協会」がある
雨男、雨女と聞くとどうしてもネガティブなイメージが湧きます。屋外のイベントに行くときに来てほしくないと言われた人もいるのではないでしょうか。そんな人たちが集まって励まし合う団体が存在します。 その名も「日本雨女雨男協会」で、2009年に設立されました。彼らはネガティブにとらえられがちな自分たちの雨を降らせるパワーを、雨が降らなくて困っている農村などの地域に出向いたりするなどで、効果的に活用しようといった取り組みを行っています。 もともとはノリで作られた団体だそうですが、現在では日本のみならず、海外支部も含めて250名以上の会員が所属しています。現在、世界では砂漠化が進んでいて、日本でも渇水問題が起こったりと水不足問題がささやかれています。そんな世界を救えるのはわれわれであるという強い気持ちを持って活動を続けているようです。もし雨男、雨女と言われたことがある人がいたら、ホームページやFacebookのアカウントがあるので一度のぞいてみてはいかがでしょうか。 |
昔のピアノは、白と黒の鍵盤の色が逆だった
ピアノは1700年頃、イタリアの楽器製作者のパルトロメオ・クリストフォリによって新たな鍵盤楽器として生み出されました。その後、ヨーロッパの富裕層の間で広まり、多くの人がその音色を楽しんだそうです。しかし、18世紀頃まで広まっていたピアノは現在とあることで大きな違いがありました。それが鍵盤の色です。今のものはドレミファソラシドの基本となる音の鍵盤は白、半音ずれた音の鍵盤が黒となっていますが、当時のピアノはそれが逆となっていました。 これはもともとピアノの原型となったチェンバロがそうだったということもありますが、当時ピアノなどの鍵盤楽器の鍵盤の材料として、白の鍵盤には象牙、黒の鍵盤には黒壇が使われていました。ただ象牙の価格は黒壇よりも高く、なるべく安い価格で作るために象牙を節約したいという傾向がありました。そこで数が少ない半音の鍵盤を白、数が多いドレミファソラシドの鍵盤を黒にしていたのです。 しかしこの鍵盤は19世紀に入ると現在と同じ配色に入れ替わります。なぜそのようになったかははっきりとわかっていませんが、白が多いほうが見栄えがいいことや、貴族が財力を証明するために象牙を多く使ったから、などといった説があげられています。 |
ウサギのキャラクター、ミッフィーは横顔を見せたことはない
ウサギのキャラクター、ミッフィー。日本ではうさこちゃんとも呼ばれて親しまれています。そんなミッフィーですが、今まで彼女の横顔を見たことがある人はいるでしょうか?実は横を向いた彼女の顔は一度も描かれたことはなく、常に正面を向いています。 なぜ、横を向いたことがないのかというと、生みの親である絵本作家、ディック・ブルーナのある思いが理由でした。彼はミッフィーを描くにあたって、「子どもたちの正直なまっすぐな目に応えたい。嬉しい時にも悲しい時にも目をそらすことはなく、読者の子どもたちと正直に対峙していたい」と話しています。すなわち、ミッフィーはどんなときでも子どもたちを見ているよ、ということを横顔を見せないことで表現しているというわけです。それだけ子どもたちに対して真剣に向かい合って描かれているということが、現在でも人気の秘訣なのかもしれません。 ちなみにこのミッフィーという名前は本名ではなく英語名です。本名はナインチェ・プラウスと言い、オランダ語で「ふわふわのウサギちゃん」という意味です。 |
サッカーの試合で、オウムにレッドカードが出されたことがある
普通、サッカーの試合でレッドカードが出されるのはピッチに出ている選手たちですが、かつてイギリスで鳥のオウムに対してレッドカードが出されたことがあります。 これは地元の試合を観戦しにきていた女性が鳥かごに入れて持ってきていたもので、最初のうちはおとなしく見ていましたが、後半に入りしばらくするとオウムが審判が鳴らす笛の音を真似て鳴くようになりました。そのオウムが鳴くたびに選手たちは動きを止めるためたちまち試合は混乱し、このままでは試合にならないということで、審判はそのオウムと持ってきた女性をレッドカードで会場から退場を命じ、家へと帰らせたそうです。それを見ていた観客たちは笑っていましたが、当の選手や審判たちにとっては大きな迷惑であったことでしょう。 ちなみになぜこの女性が会場にオウムを連れてきたのかはわかっていません。もしかしたらわざと試合を混乱させるためだったのではないか、という噂もあったとか。 |
コアラは、1日22時間寝る
オーストラリアでおなじみの動物、コアラ。そのかわいらしい姿は見ているわれわれを癒やしてくれます。そんなコアラは1日のほとんどを寝て過ごしているというのはご存知でしょうか。 コアラの一日の睡眠時間はおよそ18時間から最大20時間、多いものだと22時間も寝るものもいます。なぜこんなに睡眠時間が長いのかというと、コアラがエサとして食べているユーカリの葉は繊維質で毒素が強く、かつ栄養価が高くありません。そんなユーカリの葉を消化吸収するためには相当量のエネルギーを消費する必要があります。そのため普段の生活で睡眠することでエネルギーを消費せずに蓄えているというわけです。 これだけ睡眠時間が長いと、動物園などで動いているコアラを見ることはほとんどできないかと思われますが、実は食事の時間になるとコアラは起きて動き始めます。もし動いているコアラが見たいならば食事時を狙うのがいいかもしれません。 |
オリンピックのマラソンで、車で移動して優勝した選手がいる
1904年にアメリカのセントルイスで開催された第3回夏季オリンピックの男子マラソン。30度を超える暑さの中、最初にゴールテープを切ったのはアメリカのフレッド・ローツという選手でした。しかし彼はあるとんでもない理由で失格となり、世間の非難を浴びることとなりました。 ローツは当初20km過ぎまで走っていたものの暑さにやられたのかダウンしてしまい、道端で倒れてしまいました。そのとき偶然一台の自動車がやってきたのを見たローツはこの車に乗せてもらいスタジアムまで向かいました。このときは彼は棄権するつもりで向かっていたかもしれません。しかしスタジアム直前でこの車がエンストしてしまいます。そのとき悪魔が囁いたのか、ローツはそこからもう一度走り出します。そしてそのままトップでゴール、金メダルを受け取ることとなりました。しかし、それを見た車の運転手が彼を乗せていたことを証言、ローツはキセル行為で失格となり、2位の選手が繰り上げで金メダルを受け取ることになりました。 ローツはこの結果、オリンピックから永久に追放されてしまいます。つい魔が差したとはいえ、その代償は大きかったようです。 |
ブラジルの食事では、ナイフとフォークを持つ手が逆
右利きの人がフォークとナイフを手にするときは、ほとんどの人が右手にナイフ、左手にフォークを持つと思われます。しかし、ブラジルでは左手にナイフ、右手にフォークと逆の持ち方をします。 これはブラジル料理の料理の出され方に起因するもので、ブラジル料理では基本的にお米、豆、野菜、おかずがひとつのお皿に乗せて出されます。そしてほとんどの人はそれを皿の上で混ぜて食べます。ただブラジルのお米は日本のものに比べて水分が少なく、フォークに乗せようとするとボロボロとこぼれてしまいます。そこで横にナイフをそえることでこぼれることを防ぐのですが、その際に左手にナイフ、右手にフォークを持つと非常にやりやすいということから、この持ち方がふつうなのだそうです。 もしブラジルに行くことがあれば、郷に入っては郷に従えということでこの食べ方をしてみてはいかがでしょうか。実際この食べ方のほうが食べやすいという声も多いようですよ。 |
日本最大の日の丸の国旗は、出雲大社に掲げられている
日本の国旗、日の丸。役場や学校などさまざまな施設で掲揚されていますが、その大きさはどれだけ大きくても幅1mぐらいでしょう。しかし鳥取県の出雲大社に掲げられている日本でもっとも大きい日の丸は、縦9m、横13.6mと畳75畳分に相当します。 重さも50kgと、1人で持つのも難しいほど。それが地上47mの高さに掲げられています。この47mという高さは平安時代に建てられていた出雲大社の本殿の高さとほぼ同じだそうです。かなり高い地点に掲揚されるため、遠くからでも日の丸がはためいている姿が確認できるそうです。ただ、あまりにもサイズが大きいため、雨の日や風の強い日には掲揚されません。 また出雲大社の神楽殿には、日本最大級とも言われる全長13.5mにもなるしめ縄もあります。出雲大社に行くことがあれば、ぜひ、これらの日本一をご確認ください。 |
作家・三島由紀夫はヌード写真集を出している
日本を代表する作家のひとり、三島由紀夫。そんな彼が自身を被写体にしたヌード写真集を出していると聞いたら驚くのではないでしょうか。 その写真集とは1963年に発表された『薔薇刑(ばらけい)』というタイトルのもので、もともとは写真家の細江英公が三島由紀夫の評論集に使う目的で写真を撮影していたのが、三島が好きなように撮影してほしいというリクエストをしたことから、三島のさまざまな姿を撮影する形へと変わっていき、結果として写真集を発売するにいたったというわけです。 当時、三島はボディビルで体を鍛えていたからか、惜しげもなく自分の体を披露していました。ゴムホースを体に巻き付けた姿、ふんどし一丁で立っている姿、女性と絡んでいる姿など、当時としては衝撃的な写真が多く、日本中に衝撃を与えました。 また、細江はこの作品で日本写真批評家協会作家賞を受賞しており、写真家としてその名が知られるようになりました。 |
徳川15代将軍・徳川慶喜は退位後、アマチュアカメラマンとして活動していた
江戸幕府最後の第15代将軍、徳川慶喜。29歳のときに将軍職をしりぞき、77歳まで生きましたが、その間にアマチュアカメラマンとして活動していた時期があったそうです。 慶喜は明治維新後、趣味に没頭し、狩猟や釣り、絵画、将棋などさまざまなものに手を出していたそうです。その中でもとりわけカメラにはまっていたらしく、写真家の徳田孝吉という人物に写真術を学んでからは撮影でよく屋外に出かけていました。当時、静岡県に住んでいたため、浅間神社や久能山東照宮をよく撮影していたそうです。 しかし写真の腕はそれほどでもなかったようで、当時発売されていた人気写真雑誌に何度も投稿していましたが、ほとんど採用されることはなかったそうです。しかし、そんな慶喜の無念を晴らしたのか、ひ孫である徳川慶朝(とくがわ・よしとも)がプロカメラマンとしてデビューしています。 |
相撲の土俵の下には、いろんなものが埋められている
よく「土俵の下には銭が埋まっている」と言います。強くなればそれだけお金を稼ぐことができるという新入りの力士を鼓舞するための言葉で、当然実際にお金が埋まっているわけがありません。しかし、実際にはお金以外のさまざまなものが埋められているというのはご存知でしょうか? 実はあの土俵の下には、昆布、勝ち栗、米といった縁起物が埋められています。本場所の初日前日に土俵の中央に穴を掘り、これらの縁起物を紙に包んでその穴に入れて、そこからお酒を注いでから土を上からかぶせます。これらは本場所が行われている間ずっと埋まったままにされています。 もともと大相撲は神事として行われていたため、五穀豊穣や国の無事などを祈る意味でこのような儀式が今もって続けられています。現在はスポーツとしての側面が強い相撲ですが、やはり日本の国技だけあって、さまざまな決まり事が重要視されているというわけです。 |
八重歯がチャームポイントになるのは、日本だけ
日本では昔から八重歯はチャームポイントとして扱われていました。八重歯を売りにしている女性アイドルも少なくありません。しかし八重歯がチャームポイントとなるのは日本だけで、海外、特に欧米では嫌われていて、矯正の対象と考えられています。 というのも欧米ではドラキュラや魔女などの象徴として考えられており、八重歯が生えていることはそれらをイメージさせるからです。また海外の人は歯並びの乱れに対して厳しいというのもあります。アメリカだと小さい頃に歯並びの乱れが見つかるとしっかりと治療します。それができないということは、家庭が貧しいとか、家庭環境が悪いと思われてしまうからです。それだけ海外では歯並びは重要視されています。 とはいえ、日本であればそんな悪印象を与えないから、八重歯は治す必要はないと思われるかもしれませんが、実は八重歯があると虫歯や歯周病、知覚過敏のリスクが高まると考えられています。特にこれといった理由がない限り矯正したほうが良いのかもしれません。 |
病院のベッドが硬いのは、心臓マッサージをしやすくするため
病院に入院したとき、ベッドの硬さに不満を持った人は少なくないと思います。しかし、あの硬さは単に病院がケチって安いベッドを使っているというわけではなく、ちゃんとした理由があってあの硬さになったそうです。 まず、一つ目の理由として、患者の床ずれを防ぐためです。ベッドのマットが柔らかいと体が沈み込んで、マットと体が触れる面積が増えます。そうなると体の身動きが取れない患者は、長時間マットに触れることで皮膚呼吸ができなくなり、床ずれが生じてしまいます。また、床ずれを防ぐために看護師さんたちは患者の体の向きを定期的に変える必要がありますが、マットが柔らかいと患者の体が沈み込んでいて、簡単に転換させることができません。硬いマットであればあまり力をかけずに患者の向きを変えることができるというわけです。 次に、患者に万が一のことがあった場合、医者は心臓マッサージを行いますが、その際にマットが柔らかいと心臓に対する衝撃がマットに吸収されてしまいます。そのためマットを硬くして心臓マッサージの効果を高めているのです。 ベッドの硬さは患者のことをちゃんと考えた結果のこと。寝づらいかもしれませんが、そこは許容してあげたいものです。 |
『東海道四谷怪談』は『忠臣蔵』のスピンオフ作品
夏の風物詩、怪談。その中でも『東海道四谷怪談』をご存知の方は多いのではないでしょうか。実はこの話、あの『忠臣蔵』と非常に関連深いと言われると意外な気がします。 というのも『東海道四谷怪談』で殺されたお岩という女幽霊が復讐する侍、伊右衛門は赤穂藩の藩士で、かつその伊右衛門がお岩と出会った後に恋をした女性が、かの吉良上野介の家臣の孫だったという設定があるからです。作者である鶴屋南北もこの作品を『忠臣蔵』の外伝であるという構成で描いていたそうです。 そのようなバックストーリーがあったことから、江戸時代には『忠臣蔵』と『東海道四谷怪談』の舞台が交互に上演されていました。どちらも見ることでそれぞれの関係性を理解したいと思った観客で大盛況だったそうです。 現在ではこの両作品の登場人物が同時に登場し、新たな解釈を加えた『四谷怪談忠臣蔵』なる歌舞伎作品も誕生しています。興味がある方はこれらの作品を見比べて、その関係性を深掘りしてみるのも面白いかもしれません。 |
掲載日時 | 2023/10/28 18:00 |
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タグ | 聞くトリビア 大橋俊夫 |
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