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最高神の姿のワシントン大統領像が手に持っているものは?

ジョージ・ワシントン (1732–99)

筆者は19世紀後半〜20世紀前半に活躍したドイツの彫刻家クリンガーの手になる『ベートーヴェン像』について何度か言及しておりますが、この像はいわゆる神話的肖像(像主(モデル)を神話の登場人物になぞらえた姿に描く肖像画や彫像)の中でも、芸術系偉人では極めて珍しく(一般には国家元首がなぞらえられることが多かった)ギリシャ神話の最高神ゼウス(ローマ名ユピテル)になぞらえられている点で画期的です。

ところでそのクリンガー作品の約60年前にも、それまでにないタイプのゼウスになぞらえられた神話的肖像が作られており、今ではその像はアメリカのスミソニアン博物館にあります。

その像主はアメリカの初代大統領ワシントンであり、国家元首の像ではあっても世襲の元首でなくあくまで一代限りの為政者である大統領が最高神の姿になっているという点で画期的でした。

ワシントン生誕100周年を祝う国家プロジェクトとして、政府はアメリカ初の専門的な彫刻家といわれるホレイショ・グリーノーをワシントン像の作者に任命しました。彼は主にイタリアを拠点として活動し、ワシントン像もイタリアのカラーラ産大理石を使ってイタリア国内で作られています。

 

大理石のワシントン像はゆったりした古代風衣装を片肌脱ぎでまとい、玉座におごそかに腰掛けてルネサンス以降のゼウス像の表現を踏襲していますが、矢張りこちらも像主の現実世界での業績や政治的思想にできるだけ合わせるため、伝統的なゼウスのアトリビュート(神話や聖書、その他有名な物語の登場人物を描く際、一種の“お約束”としてほとんど常に一緒に描かれる品物や動植物など)三種「王笏」「稲妻」「鷲」をカットし、他のものに置き換えています。

まず「鷲」のカットについてですが、既に独立宣言のほぼ直後にハクトウワシをアメリカ国鳥に指定しているにも関わらず、ヨーロッパ風の鷲をアメリカらしいハクトウワシに置き換えて表現しなかったのは謎です。代わりに、玉座の装飾はライオン(勇気や正義の象徴とされることが多い)がモチーフです。

 

そこでクイズですが、ワシントン像は残りの「王笏」と「稲妻」の代わりに、ある武器(一種類)を手に持っています。その武器とは一体何でしょう?

 

1,槍

2,剣

3,弓矢

 

・・・正解は、2番の「剣」です。

ワシントン像は剣の柄部分を観賞者=人民に手渡すかのように突き出して持っていますが、これは剣(で象徴される軍事力と政治的権威と法の執行権)の真の持ち主が自分でなく人民であることを示しています。また、剣が抜き身でなく鞘に収めてあることは、この剣を正当な理由もなく抜くべきでない=安易に武力で問題を解決しようとしてはいけないという戒めでもあります。

 

ところでこのワシントン像は1841年に完成して国会議事堂の円形広間に置かれると多くの人々に賞賛されましたが、一方少数ではありますが「あくまで一代限りの元首になる道を選んだワシントンが、一般に世襲元首がなぞらえられるゼウスになぞらえられているのは逆に像主ワシントンの信念に反して失礼ではないか」とか、「上半身裸といってもよい片肌脱ぎの衣装姿なので、いくら古代神話の神の姿とはいえ品位に欠け像主ワシントンに非礼ではないか」という批判的な意見もあったそうです(なお、ワシントン像は胸を張り脚を開いて正面を見据えたわかりやすい力強い姿勢=ゼウス像の典型的且つ伝統的なポーズで玉座に腰掛けているため、『ベートーヴェン像』とは違い「ゼウス像とは似ても似つかない弱々しい謎キャラ」に見えるという批判はなかったようです)。

 

なお作者グリーノーは1843年にワシントン像を円形広間から議事堂の庭に移すことを提案しそれは実現され、その後1908年にスミソニアン博物館に移されるまでワシントン像は屋外に置かれていました。但し、グリーノーがワシントン像を議事堂の庭に移すのを提案した大きな理由は先述のワシントン像への批判ではなく、当時の建築技術では国会議事堂の円形広間の床はこの像の重量に長年耐えられる頑丈さは出せなかったせいともいいます。

 

 

<参考文献>

岡部昌幸監修『暗号(アトリビュート)で読み解く名画』世界文化社、2021

ジェイムズ・ホール、高橋達史・高橋裕子・太田泰人・西野嘉章・沼辺信一・諸川春樹・浦上雅司・越川倫明訳、高階秀爾監修『西洋美術解読事典 絵画・彫刻における主題と象徴』河出書房新社、2021

オード・ゴエミンヌ、ダコスタ吉村花子訳、松村一男監修『世界一よくわかる! ギリシャ神話キャラクター事典』グラフィック社、2020

スミソニアン博物館ホームページ内の『グリーノーのワシントン像』の解説(英語)

https://www.si.edu/newsdesk/factsheets/horatio-greenough-s-george-washington

Looking at the Masters: Washington and Lincoln in Sculpture

https://talbotspy.org/looking-at-the-masters-washington-and-lincoln-in-sculpture/

ウィキペディアの「ハクトウワシ」の項(日本語)

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%82%AF%E3%83%88%E3%82%A6%E3%83%AF%E3%82%B7

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準デジタル・アーキビスト資格所持者
ペットセーバーベーシック・アドバンス資格所持者
せっぱつまりこ

法政大学大学院国際日本学インスティテュート修士課程修了(学術修士の学位有り)

10代前半から美術史に、1617歳頃から葬儀・埋葬史に強い関心を持ち、紆余曲折を経て現在では特定分野に特化したクイズ原案作者を名乗る。

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