17世紀から19世紀まで存在した金星の幻の月は?
2021年現在太陽系の惑星の中で衛星がないのは水星と金星の2つ。
しかし17世紀からおよそ200年もの間、金星には月があると信じられていたことをご存知だろうか。
今回はこの金星の幻の月について解説しよう。
時は1672年のヨーロッパ。イタリア出身のフランス天文学者であるジョヴァンニ・カッシーニ(1625-1712)が金星の近くに小天体なるものがあることを観測した。当初は彼自身に自信がなく公表していなかったが、14年後の1686年に再発見したことでその存在を発表したのである。
1700年代に入ると多くの天文学者がそれらしき天体を観測したとの発表している。
具体的な例を挙げると1740年にジェームズ・ショート(イギリスの天文学者, 1710-1768)、1761年にジョセフ・ルイ・ラグランジュ(サルデーニャ王国(※)の天文学者, 1736-1813)やエイブラハム・スケルテン(ドイツの天文学者, 1707-1789)などだ。
(※)サルデーニャ王国・・・18世紀から19世紀にかけて存在したヨーロッパの国家
一方で、金星の近くにあるとされる天体は見つかられなかったと発表する研究者も出てきた。天王星の発見で知られるウィリアム・ハーシェル(ドイツ出身のイギリス天文学者・望遠鏡製作者・音楽家, 1738-1822)もその一人だ。
1884年、当時ベルギー王立天文台の天文台長だったジャン・シャルル・ウーゾー(ベルギーの天文学者・ジャーナリスト, 1820-1888)は「この天体はおよそ2.96年周期で金星に近づく天体である」と観測から結論づけており、さらに「この天体が公転周期283日の惑星と仮定すれば、金星と1080日周期を持つことから観測と一致する」とも述べている。
個人的に述べると、後半の仮定には強引性があって納得しがたいものだが。
3年後の1887年にウーゾーはこの研究について再度取り上げたが、ベルギー科学アカデミーは観測していた天体はすでに見つかっている恒星だと結論づけており却下されてしまった。
ちなみにウーゾーはそれまで名前がなかった金星の「衛星らしき」天体に「ネイト」と名付けており、これはエジプト神話に登場する戦いの女神に由来している。
決着がついたのは1892年。エドワード・エマーソン・バーナード(アメリカの天文学者, 1857-1923)が「金星の近くに7等星がある」と発表した一方で、今まで述べられてきた衛星らしき天体はどこにもなかったと主張した。その発表以降現在に至るまで、金星には衛星がないとなっている。
ネイトという名前の天体は、火星と木星との間にある小惑星帯にある小惑星の一つに実際に存在している。ただしこれが幻に消えてしまった金星の月からとったのかは定かではない。
ジャンル | 科学 |
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掲載日時 | 2021/10/12 16:00 |
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