よみもの|コラム|モミジDr.のリカバリー日記
vol.133

モミジ院長のリカバリー日記第133回「印象派」

(続き)勉強時間の確保が大事であったが、やりたいことをやりながら受験を突破したかったので、家での勉強の仕方と授業との関わりあい方に工夫が必要と感じた。当時の僕の優先順位としては21時~23時は絶対に映画が観たいということは確定していた。

(中学1年の頃は)夕方までテニス部があり、月、水、金は(18時~20時)珠算教室がある。そこで、次の戦略を考えた。

 

① できるだけ毎日の宿題(漢字や計算練習など)は授業中に済ませる。

② 英語と数学は普段から受験勉強をするため、定期試験対策はほぼ直前のみ

③ 理科と社会は定期試験対策=受験勉強につながるので受験問題集を中心に重点を置き、単元ごとに究めていく。

④ 国語は漢字、文学史、古文・漢文のみ。それ以外はやらない。

⑤ 授業中はノートを取らず、気になることは教科書の端にメモをする程度(小学5年以降一切ノートは取らないスタイルだった)

⑥ 全科目共通の単語カードを作り、覚えたいことはそこに毎日書いていく

⑦ 授業中できるだけ先生にあてられないように斜め下を向く。

⑧ 突然あてられてもいいように、その日の要点となる用語は事前に10分程度調べてメモしておく。

⑨ 21時~23時の映画の時間は単純作業(単語カードに書き写す作業など)をしながら観る。

⑩ 23時~深夜1時は机に座って勉強する

⑪ 土日祝は勉強時間が確保できるので、受験用の勉強をする。

 

ざっと上記のような方針を立て、毎日の生活に臨んだ。(続く)

 

テーマ問題「印象派②」

 

問題 9  フランスの美術評論家で、クロード・モネの作品『印象・日の出』を観て「印象派」という言葉を考案し、広まるきっかけとなったのは誰?

問題10 1874年から1886年までの計8回開催された「印象派展」すべてに出品した唯一の画家は誰?

問題11 キャピュシーヌ大通りの自宅を開放し「第1回印象派展」の会場となったことで知られるフランスの写真家で、気球に乗って世界で初めて空中からの写真撮影に成功したのは誰?

問題12 1886年の「第8回印象派展」に出品され、これを観た美術評論家のフェネオンが「新印象派」という言葉を用いたことで知られるジョルジュ・スーラの作品は何?

問題13 大正元年、斉藤与里、岸田劉生らが発起人となり、「後期印象派」の影響を受けた画家たちによって結成された美術団体で、その名前はデッサンに使用された木炭のフランス語から名付けられたのは何?

問題14 『印象・日の出』をはじめとしたクロード・モネの作品を多く収蔵していることから別名を「モネ美術館」と言われるパリの美術館はどこ?

問題15 1986年に閉館し、その多くの作品は現在オルセー美術館に移されている、別名「印象派美術館」と呼ばれていたパリの美術館で、あるスポーツの競技場として使われていたことから名前が付いたのはどこ?

問題16 パリのクリシー街9番地にあったカフェで、マネ、ドガ、ピサロら画家たちのたまり場となり、のちの「印象派」の出発点になったことで知られるのはどこ?

 

 

 

 

正解【印象派②】

問  9  ルイ・ルロワ(モネの『印象・日の出』はル・アーブルの景色を描いた風景画。1874年4月25日、批評家のルイ・ルロワがフランスの風刺新聞『ル・シャリヴァリ』に、皮肉を込めて「印象派の展覧会」と題した批評文を書いたのがきっかけ。ジョセフ・ヴァンダンとの対話の中で酷評した)

問 10 カミーユ・ピサロ(カリブ海に浮かぶデンマーク領セント・トーマス島生まれ)

問 11  ナダール(本名ガスパール・フェリックス・トゥールナション、ジュール・ヴェルヌの『月世界旅行』の主人公のモデルとされる。オノレ・ドーミエの風刺画『写真を芸術の高みに浮上させようとするナダール』が有名、また、1870年の「普仏戦争」で気球部隊を建造したことで知られる。)

問 12  『グランド・ジャッド島の日曜日の午後』(点描法を用いて、パリ近郊のセーヌ川の中州で夏の1日を過ごす人々を描いている。シカゴ美術館に所蔵。当時、登場したばかりの顔料ジンククロメートを用いている)

問 13  フュウザン会(元々は「ヒュウザン会」と呼ばれた。)

問 14  マルモッタン美術館(1934年、クロード・モネの次男ミシェルが寄贈したコレクションを中心にブローニュの森に設立された。)

問 15  ジュ・ド・ポーム美術館(ジュ・ド・ポームはテニスの元になったとされる競技、フランス語で「手のひらの遊び」という意味)

問 16  カフェ・ゲルボワ(パリ・モンマルトルの丘の西側にあたるパティニョール大通り11番地にあった。エドゥアール・マネが1863年の「落選展」に出品した『草上の昼食』や1865年のサロン・ド・パリで『オランピア』を発表し物議をかもしたことがきっかけとなり、しだいにこのカフェに人が集まるようになった。)

この記事が気に入ったらシェア!
いしい記念病院 副院長
森隆徳

学生時代、クイズ番組の出場経験があり、広島でクイズサークル「モミジQ楽部」を友人と立ち上げた。精神科医になり、元祖クイズドクターとしてテレビ番組への出場、自身の大会を開催するなどクイズ活動を行う傍ら、医療の中でクイズを使った活動を行い注目を集めている。

クイズに関するニュースやコラムの他、
クイズ「十種競技」を毎日配信しています。
クイズ好きの方はTwitterでフォローをお願いします。

モミジDr.のリカバリー日記 第343回「万国博覧会」

モミジDr.のリカバリー日記

モミジDr.のリカバリー日記 第342回「人口」

モミジDr.のリカバリー日記

モミジDr.のリカバリー日記 第341回「ルネサンス」

モミジDr.のリカバリー日記

富士山より高い日本一の山があった?

閲覧数:
1,220views

怖い雑学【聞くトリビア 読む編part.20】

閲覧数:
530views

「人生の糧になる名言」100選【偉人たちの名言雑学集】

閲覧数:
520views
Share