和洋折衷のギリシャ神殿風円柱のあるホテルは?
明治期半ば〜末期の日本では、支配者層の間で和洋折衷の室内装飾や家具の様式が非常にはやっていました。
そもそもこの動きは、明治維新のほぼ直後の1869年に世界一周旅行の途中のイギリス王子が突然来日するということになり、当時は迎賓館というべき施設がなかったため、浜離宮(当時は幕府時代の呼称「浜御殿」でした)の中にあり、幕府瓦解のため完全に完成しないうちに廃墟化していた「石室」という外壁が石造りの建物を急遽整備し「延遼館」と名付けて、臨時の迎賓館としたことに始まります。
この延遼館は現存しませんが、図面や写真その他当時の記録によれば、外観は一見江戸時代の役所のような雰囲気だが室内の主要室には暖炉があり絨毯が敷かれ、そこで使われた椅子の何点かは山口県下関市などに現存していることがわかっています。
そしてそれらの椅子は、形状こそ当時のイギリスを中心とするヨーロッパで流行の様式「ヴィクトリアン・ロココ」の形でしたが、布部分は西陣織を使い木部には漆蒔絵の装飾があるものでした。
延遼館及びそこの調度品を発端として、1888年完成の皇居の宮殿だった明治宮殿を始め多くの要人邸宅、都市やリゾート地に建ち始めた高級ホテルでこうした和洋折衷の室内装飾や調度品が取り入れられました。それらの特徴をもう少し詳しくいうと、基本的に安土桃山時代風の書院造とヨーロッパのバロック様式を混淆させたものであり、格子の組まれた天井「格天井」や床の間・襖などと机あるいはテーブル・椅子や暖炉、洋風のシャンデリアなどが共存するものでした。
なお、こうした和洋折衷の様式が支配層の間で大流行した大きな理由の一つには、折からの日清・日露戦争での勝利や近代資本主義国家としての国家機構の成長などを背景とするナショナリズムの勃興があったことも、忘れてはなりません。
この和洋折衷様式は、1905年に徹底した洋風様式の赤坂離宮が完成してからは和風と洋風の峻別指向が強まり、要人邸宅の様式としては次第に選ばれなくなってきますが、高級ホテルの様式としては昭和初期くらいまでは取り入れられていました。それらの和洋折衷様式を採用したホテルの中には、現在もいわゆるクラシックホテルとして現役営業を続けているところもあります。
そこで問題ですが、そうした和洋折衷様式を採用した高級ホテルの中には、例えばギリシャ神殿風円柱のタイプの一つである、柱頭部分に繊細な植物文様のある「コリント式円柱」を和洋折衷化した円柱のような、個性的な工夫が光る装飾のあるホテルもあります。そこは、次のどれでしょう?
1,箱根にある【富士屋ホテル】
2,日光にある【日光金谷ホテル】
3,横浜にある【ホテルニューグランド】
・・・正解は2の【日光金谷ホテル】です。
一般にコリント式円柱の柱頭部分の装飾は「アカンサス」というキツネノマゴ科の植物をモチーフにしていますが、日光金谷ホテルの円柱の場合はアカンサスを牡丹に変えており、中には安土桃山風の鮮やかな彩色がされているものもあります。これなどは、矢張り日光東照宮が意識されている点が大きいです。
<参考文献>
辻惟雄編『「かざり」の日本文化』角川書店、1998
鈴木博之、増田彰久、小澤英明、吉田茂、オフィスビル総合研究所『都市の記憶Ⅱ 日本の駅舎とクラシックホテル』白揚社、2005
ジャンル | 歴史 |
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掲載日時 | 2021/5/8 16:00 |
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