明治時代、日本人が発見した元素は?
2004年に埼玉県和光市にある理化学研究所で、ビスマスに亜鉛イオンを衝突させ、新元素が合成されました。この元素は2016年に発見が認定され、日本に命名権が与えられました。
この元素は発見国である日本にちなんで「ニホニウム」と名付けられ、ニュースになりました。
国名が元素の名前につくことは他にもありますが、アジアの名前が付いた元素はこれが初めてとなります。
ですが、それに先立つ1908年に日本が命名した「ニッポニウム」という元素があったことをご存じでしょうか?
今回は幻となってしまった元素であるニッポニウムについての記事です。
このニッポニウムを発見した人物は日本人科学者の小川正孝という人物です。
小川は帝国大学理科大学および大学院で化学を学んだ後、教師になります。しかし、研究を続けようと大学へ戻りました。
そして小川が39歳の時、イギリス・ロンドン大学のウィリアム・ラムジー教授のもとへ留学します。
ここで小川はトリアナイトという鉱物の中に含まれる新元素について研究を行います。
小川は優れた分析の腕前により、新元素・ニッポニウムを発見します。
そして帰国後、小川は東北帝国大学の教授を経て同大学第4代総長に就任します。
小川は総長になったあともニッポニウムについて研究を行いました。
沈殿、溶解、蒸発、抽出などの古典的な分析化学の操作を組み合わせ、何百回と部分分離を繰り返し、新元素酸化物を得ることができました。
小川は分析結果から原子量を約100とし、当時未発見であった43番元素に相当するものと考えました。
しかし、実際の43番元素であるテクネチウムは天然には存在しない人工放射性元素であったのです。
では小川が発見した新元素とは何だったのでしょうか?
東北大学の吉原賢二を中心に小川の業績を現代の化学から調べる試みが行われました。
その結果、小川が当時ニッポニウムとしたものは原子番号75のレニウムであったと結論を出しました。この理由として
① ニッポニウムの光学スペクトルはテクネチウムではなくレニウムのものと一致
② 小川はニッポニウムの価数を2価として扱い、原子量を約100としたが、現代の化学の知識では6価であったと考えられる。これを考慮し原子量を再計算するとレニウムの原子量とほぼ等しい
③ ニッポニウムはモリブデナイトという鉱物中に多く含まれるが、レニウムもモリブデナイトに多く含まれる
などが挙げられます。
また、当時ニッポニウムのX線スペクトルを測定した結果が発見されこの説は確かなものと考えられました。
レニウムが発見されたのは1925年のことであるため、小川のほうが先にレニウムを発見していました。
ですが、惜しいことに周期表での位置がずれていたため新元素の発見とはなりませんでした。
もしかしたら周期表の中に日本が命名権を獲得した元素が複数あったかもしれないというロマンにあふれる記事でした。
ジャンル | 科学 |
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掲載日時 | 2021/3/19 16:00 |
某大学クイズ研究会所属。
私が伝えた知識を吸収し、クイズに役立ててほしいです。
大学では自然科学について勉強しており、歴史好きというのも相まって科学史が得意です。
日本科学史、生物学史、元素といったジャンルの記事を書きます。
元素検定2級を持っています。現在1級取得に向けて勉強中。
加賀という名前ですが、石川県には1度しか行ったことがないです。
写真は福島県に旅行した時撮影した鶴ヶ城です。
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