少女漫画家たちが暮らした女性版トキワ荘とは?
手塚治虫や赤塚不二夫、藤子不二雄といった大物漫画家が暮らし巣立っていったアパート、トキワ荘。現在でもその伝説は語り継がれている。
さて、そのトキワ荘とは別に、少女漫画家版のトキワ荘と呼ばれる存在があったのはご存知だろうか?
1970年、東京都練馬区の南大泉にある借家に後に漫画家・竹宮惠子が引っ越してくる。そのとき、とある縁からある女性と同居生活を始めるのだが、その女性が後に『ポーの一族』が大ヒットする漫画家の萩尾望都である。
彼女たちは共同生活しながらお互い切磋琢磨しながら漫画作品を描きあげていく。そして彼女たちに共鳴した少女漫画家が多くこの家に集まり、ときには一緒に漫画を描いたり、今後の少女漫画について熱論を繰り広げたりしていた。
この集まりは「大泉サロン」と呼ばれた。そのメンバーには山岸凉子、山田ミネコ、ささやななえこ、伊東愛子といった、1949年頃の生まれで後に1970年代の少女漫画界を牽引した、いわゆる「花の24年組」と呼ばれる世代が多い。
彼女たちの活躍の土台には、少なからずもこの大泉サロンでの生活が大きな影響を与えたのかもしれない。
大泉サロンはそれからも発展し続けると思われた。ところが、1972年に竹宮惠子がスランプに陥ってしまう。萩尾望都という存在があまりにも近くに居すぎたことからその存在を意識せざるを得なくなり、この場所にいるのが辛くなってしまったそうだ。そのことも一因となり、同年大泉サロンはわずか2年間という短い期間で解散することとなった。
わずか2年間であるものの、この大泉サロンが少女漫画界に与えた影響は計り知れないものがあると思われる。トキワ荘しか知らなかった方はこのような存在があったということを心に留めていただければ、より深く漫画を楽しめるのではなかろうか。
ちなみに、この舞台となった借家は老朽化が進んだことにより取り壊されてしまい、その跡地もその土地の人でないとわからないそうである。
ジャンル | エンタメ・カルチャー |
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掲載日時 | 2020/8/22 16:00 |
京都在住。学生時代にクイズ研究会に所属したことで本格的にクイズを始める。2007年、クイズ作家となり、テレビやネットなど様々な媒体でクイズを提供。
幼少期に読んだ『コロコロコミック』の創刊号をきっかけに漫画にハマり、40年以上経った現在でも漫画を月に100冊近く読むほどの漫画好き。その縁から漫画やアニメ・ゲームといったジャンルの問題を多く作成しており、その数は2万を超えている。
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