2025年に水星に到着予定の水星磁気圏探査機の名前は?
水星の観測・探査についての歴史をたどってみよう。
水星は少なくとも紀元前14世紀ごろから天文学者により研究されていたことが、ムルアピン(星や星座などの表が記録されている古代メソポタミア時代の粘土板)から分かっている。また古代ギリシャ・ローマ・中国でもその観測が記録されている。
水星を初めて望遠鏡で観測したのはガリレオ・ガリレイ(イタリアの天文学者)で、その相(太陽光で見える明るい満ち欠けの部分)を初めて観測したのはジョヴァンニ・ズーピ(イタリアの天文学者)だ。
いずれもガリレオ・ガリレイが作った望遠鏡で観測されたのだが、精度は優れていなかった。
地球上から水星の観測が難しいのは太陽からの距離が一番近く、日の出直前もしくは日の入り直後の短時間しか姿を見せないことによる。
天文学者が水星の地図を作り出し始めたのは、技術が向上しはじめた19世紀〜20世紀に入ってからだ。
1960年代にはレーダーや電波技術を導入することで、さらに観測技術が上がった。
宇宙からの水星観測はマリナー10号(1973年に打ち上げ、1975年にミッションを終了したNASAの宇宙探査機)が探査するまで、天文学者は手を打てなかった。その原因は2つある。
一つは太陽からの距離が近いことと自転速度が小さいことによる、表面温度の大きい差(-173℃〜427℃)である。
もう一つは太陽の重力が大きすぎるために水星の周回が難しく、水星に接近するための減速に必要な燃料を大量に必要とするからだ。
また水星の大気がごくわずかしかないため、空力ブレーキ(空気抵抗を利用したブレーキ)やパラシュートが使えないので、着陸するにもさらに燃料が必要となる。
水星の観測に貢献したのは、前述したマリナー10号とメッセンジャー(2004年に打ち上げ、2015年に水星表面に落下してミッションを終了したNASAの宇宙探査機)だ。
マリナー10号は1974年と1975年の2回水星とすれ違い、水星の画像を初めて撮影した。
メッセンジャーは2008年に2回、2009年に1回水星とすれ違い、2011年に軌道に入り2015年に終了するまで観測を行った。そのおかげで水星の表面地形がほぼ解析できた。
マリナー10号とメッセンジャーは水星の表面観測に貢献したが、まだ表面地質や磁気圏などについての観測は不十分だった。そこでESA(欧州宇宙機関)とJAXA(宇宙航空研究開発機構)が共同で水星探査計画「ベピ・コロンボ」を立てた。
計画の名称はマリナー10号の成功に貢献したジュゼッペ・コロンボ(イタリアの天文学者)の愛称に由来している。
ベピ・コロンボ計画に使われる探査機はMPO(水星表面探査機) とMMO(水星磁気圏探査機)の2つだ。ESAがMPOを、JAXAがMMOを運用している。
MPOには愛称がないが、MMOには「MIO(みお)」の愛称が2018年6月につけられた。
2つの探査機を搭載したロケットが2018年10月に打ち上げられ、2025年に水星に着陸を予定している。
ベピ・コロンボが成功し、水星のひみつを解明してくれることを願ってやまない。
ジャンル | 科学 |
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掲載日時 | 2020/7/12 16:00 |
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